『活字狂想曲』(倉阪鬼一郎著) 幻冬舎文庫

約半年ぶりの書評である。(厳密には、過去の書評に付記として所々に追録しているので、決して長いブランクではないのだが・・・)どうも怠け癖が顔を見せ始めたようだ。
ここ数ヶ月に渡って読んだ本の傾向は、驚くほど似通っている。
列記してみると、権藤晋高野慎三〉著『ねじ式夜話』(喇嘛舎)、『ガロを築いた人々』(ほるぷ出版)、『つげ義春1968』(ちくま文庫)、梶井純著『トキワ荘の時代』(筑摩書房)、すがやみつる著『仮面ライダー青春譜』(ポット出版)、坪内祐三著『三茶日記』『本日記』(本の雑誌社)『酒日誌』(マガジンハウス)そして本書だ。
小説は一冊もなく、マンガ史と日常の出来事が綴られた実話で固められている。偶然そうなったのか、意識の底で巧妙な操作が成されたのかは自分でもよく判らない。
この中では、高野さんとすがやさんの本の読後感が非常に酷似していた。二人とも、一旦決めたことは、どんな障害があっても乗り越えていく強い意思を持っている。何故それらの本を書評の対象にしなかったのかというと、筆捌きがやけに理路整然として、優等生的で全く破綻がなく、完璧過ぎて口の挟み所がないといった贅沢な理由があげられる。高野さんは社会人になる前の経歴は不明だが、新聞社を辞めて小さな出版社の青林堂に入社するあたり、お金よりも自分の好きな道を突き進むといった頑強な信念は、聖人君子の如く眩いほど純粋なまでに澄み切っているにも関わらず、不思議と人間味を感じさせない。すがやさんの生い立ちも、貧しい家に生まれ落ちてから、マンガ家のアシスタントに至るまでの苦難の連続は、涙ぐましい波乱万丈の出世物語といっていいくらい掛け値なしに心を揺さぶられるのに言い知れぬ不満が残る。原因は何なのか。すがやさんの場合は、『仮面ライダー青春譜』で引っかかったある部分に隠されていた。師匠の石ノ森章太郎さんが、独立して確固たる地位を築いたすがやさんに、後年投げかけた言葉の中にある。長いが引いてみたい。
「いやあ、ホントのことを言うと、お前の好き勝手なことをする生き方がうらやましくてな。マンガ家も、所帯が大きくなればなるほど、売れる作品づくりが優先されるから、好きなこともできなくなるじゃないか。お前は、でかくなりかけた事務所も畳んで、ひとりでできる仕事に切り替えてただろう。所帯を小さくするには勇気が要るだろうが、お前は、さっさと古い店を畳んで、新しい店を出すじゃないか。そんなところを、ちょっとまぶしい思いで見ていたところもあるんだ。おれも、ときどき、ひとりになれたらなあ・・・・・・なんて思うことも多くなってな・・・・・・」(P326)
小説家や映画監督になりたかった石ノ森さんの素直な心情に満ち溢れた言動だが、小説や実用書の執筆、果ては大学での非常勤の講師まで勤めているすがやさんには、自分が石ノ森さんを少なからず超えたのだという自負が、この言葉を本の中に挟ませた遠因になっているとは思ってもみなかったのだろうが、裏に秘められた満足感(至福感)のようなものがどうしても見え隠れする気がしてしょうがなかった。石ノ森さんを含め、沢山の人に愛されたすがやさんの中では、あるいは無意識的なものだったのかもしれないが、天邪鬼な私は文面の狭間から目に見えない歪んだ心根を掬い上げてしまう。高野さんもすがやさん同様、深く関わったマンガ家達の死を振り返る際のあっけないほど冷静な一文(批評家としての厳しい視点)から非情な一面が覗く。良く言えば沈着冷静とも言えるが、追悼文にしてはあまりにも慈愛の念がないように思われた。感情の起伏が激しい欠陥人間の私の理解の範疇を超えている。人間味の希薄さは、ここに根ざしていたのか。
その点、梶井さんの『トキワ荘の時代』には、自分史と寺田ヒロオさんの半生を意識的に並行させ、成功と同じくらいの比重で失敗と挫折を浮き彫りにしている部分は、著者の感受性の豊かさが察知出来る。(『別冊新評 石井隆の世界』S53 に掲載された亀和田武さんの『淫花地獄』にみる性理解と倫理』という論争剥き出しの記事で、『ガロ』系評論家として権藤晋さん・山根貞男さん・梶井純さんの三人を引き合いに出して「<理論闘争>などという形をとってしまう作家論には、何か欠落していくものがあるのではないか、いう思いが常にある。」(P91)と批判しているのも関わらず、「おまえらの中では、最もナイーブな感覚を持っている梶井純が、劇画状況衰退の一因を“絵解き技術”のひたすらな高度化に求めていて、その見解に俺はある部分賛成してもいいと思っている」(P51)とまで言わせている。この当時、熱い血潮が全身に漲っていた亀和田さんを、一瞬でも落ち着かせる感性を梶井さんが持っていた証拠がここにある。)
トキワ荘の時代』中で、石ノ森さんの寺田さんへの思いが語られた言葉が引かれている。「今度、往時の多作傑作群が単行本として再刊されるという。あわせて、大変嬉しいことである。と、同時にその間、時の流れに乗って描き続け・・・・・・流れを変えることに出来なかった自分を思い― 寺さんの生き方を思い、恥ずかしいのである。」(P191)この発言に対して、梶井さんはこう分析を加える。「石ノ森の心のなかには、仕事に追いまくられることと引き換えに獲得した現在のポジションが、マンガ家として望むべきものとはちがうという自覚がある。いわば若描きを、こういう素直な慙愧の念とともに回顧できることもまた、才能にはちがいない。」(P192)以下も寺田さんの注意を素直に聞く石ノ森さんの姿勢に、石ノ森さんの意志的な生き方をきびしく規制した寺田さんの自省力の強さを指摘し、最終的には寺田さんという存在への畏敬をだれよりも強く実感していたのではないかと締め括る。まさに言い得て然り。石ノ森さんの悔恨の情は、すがやさんに投げかけられる前に、遠い昔から少しずつ重石のように蓄積されていったものなのだ。
まだまだ、この本には藤子不二雄Aさん(安孫子さん)の人間を捉える深い洞察力など、触れたい部分は沢山あるのだが、如何せん寺田さんの底抜けに明るいマンガに、どうしても溶け込めなかった捻くれ者の私が、これ以上感想を書き記すことは失礼かと思うので差し控えたい。ただ、トキワ荘の貴重な裏面史として、抜きん出た傑作であるとのみ言っておきたい。
いつも以上の長々とした前振りとなったが、本題に入ろう。えっ!坪内祐三さんの日記に関してまだ触れていないって。その通り、意識してあえて伏せたのです。文章の端々から立ち上る独特の悪臭(褒め言葉です)を本書と同様に放っているので、感想を記しながら折々で坪内本に触れたかったからだ。
冒頭の“はじめに”で倉阪さんが触れているが、本書は十一年間の会社(某印刷会社の校正者)勤めの間に起きた、極めて奇異な出来事の数々で埋め尽くされている。『幻想卵』という同人誌に「業界の極北で」という題で連載された時から、一部では大きな反響を呼んでいたらしい。確かに面白いエピソードが満載なのだが、一々取り上げているときりがないので、共感を覚えた部分を抜粋して、逸話の裏側の隠された真相を探り、倉阪さんの実像に少しでも迫ってみたい。
まずは、P18の「耐えがたいこと」から。
倉阪さんは漏らす。「「運動」「活動」と名のつくものはすべて耐えがたい。まずはQC活動と・・・」といった具合だ。挙句、上司に「僕はQCの考え方が嫌いですから!」とか「ほかに勉強することがありますから」とかといった切れる寸前の言葉を立て続けに吐く。実をいうと、私は前に勤めていた会社で、何度もQC担当者とぶつかり、そのたびに煮え湯を飲まされてきた。相手の決めゼリフはいつも同じだ。「こうあるべき!こうするべき!」倉阪さんじゃないが、「そのようなべき論だけで仕事が進めば、こっちは苦労しないんだよ!」と面と向かって何度罵倒したかったことか。それでも忍耐強い私は、QC担当者が匙を投げた案件を、懇切丁寧に再解析して問題を解決させたことがある。その後のQC担当者の言い分がいい。「××君、QCの仕事に適しているんじゃないの」だって。ぶざけるのもいい加減にしてもらいたい!お前がやらないからしょうがなくやったんだよ!
話が私的になって思わぬ方向に飛んでしまったが、QCの仕事に携わっている人には悪いが、個人個人がしっかりと自己管理していれば、QCなんて必要ないというのが私の自論だ。(ただ、それが難しいのだが)
また少し話が逸れるが、倉阪さんが過去の記述を読み返した後、新に追加した注(注釈)に目が止まった。P30の「くたばれクレジットカード」や「俺ァ年金なんていらないんだよね」で挟まれる“彼は昔の彼ならず”というフレーズは特にきいている。カードや年金の積み立てに関して不要論を唱えていた過去の自分に向って、素っ気無いほど無造作に投げかけられる一言が実に重い。
このような注は、坪内祐三さんの日記にもたびたび現れる。(わざわざ注の為に、下段の枠が取られているのだ〜このセンスが素晴らしい。目黒考二さんのアイデアか。)三茶日記P26の「どうしても知りたい人には教えてあげるよ。こっそりと。」とか自身に問いかけるP104のようなフレーズもある。「何があったのだろうツボちゃん。」倉阪さん、坪内さんの人情味溢れる本音だけに、やけに心に響いてくる。
P48の「私の歌手修業」では、倉阪さんの懐メロおたくぶりが垣間見れて楽しい。
駅の構内で、岡春夫の「港シャンソン」(何だこの歌は)を気持ちよく口ずさんでいたら、後ろから上司に呼び掛けられる。この瞬間倉阪さんは突如妖怪へと変貌し、「見たなァ」という心の叫びを木霊させる。怪奇作家として、面目躍如の場面である。ただ、その後が更に可笑しい。上司と別れると駅のホームでまた、「上海の花売娘」(この歌は知っている)を歌い出す。懲りない奴だね。倉阪さんは。密かな趣味のひとときを邪魔する奴は、犬にでも食われろといったところか。
次は、P53の「私は犯人じゃない」だ。
社内での連続放火未遂事件に関しての話だが、この当時倉阪さん自身が、社内のブラックリスト(放火犯)に載ったようなのだ。ふだんはおとなしいのに、ときどき怒り出す。神経科にかかっていた過去がある。など疑われる要素が沢山あるからだ。発覚していない過去の小さな器物破損事件にまで思い起こし、被害妄想に耽るあたりは深刻だ。果ては「号外の犯人は俺だぞと、人ごみの中で怒鳴ってみたい」とか「うう、僕がやりました」と自白しそうで不安だとまでいう始末。実は私にも若い頃“ふだんはおとなしいのに、ときどき怒り出す”傾向があり(今は怒る気力もないし、その分覇気もない)その上、時々無性に叫ぶたくなることが何度もあった。私も情緒不安定の危ない奴かも。
P56(無題)では、一転哲学的な言葉に思いを馳せる。(この人は分裂症か)
山本夏彦の一言「社会という言葉はたかだか百年の歴史しかないから違和感がある。浮世、世間、世の中なら腑に落ちる。」とか、江国滋の一言「二十一世紀までいく延びて前世紀の遺物と呼ばれたい」に賛同する姿勢を省みて、俺は単なるじいさんではないかと嘆きながらも、「私は早く七十の偏屈じいさんになりたいのだ。」と結ぶあたりの枯れ加減は、何とも素晴らしい。私も歪んだ意識でしかものを捉えられない悲しい性を背負って生きているが、倉阪さんを見習って、偏屈のまま年を取ろうと思う。
P78の「社内食堂にて」も頷ける光景だ。
倉阪さんは、自らを変わりものと称して、一品料理だけの食事をする。「冷や奴二皿、野菜コロッケ、ひじきの煮つけ、マカロニサラダ」を食べていると、上司がふと訊ねたらしい。「暗阪君(上司から呼ばれる時は何故か倉阪でなく、暗阪なのかが不思議だ)、それの主食は何なの?」倉阪さんは答える。「豆腐です」確かに、ご飯や麺類でなく豆腐が主食なのはおかしいが、私はここでふと既視感に襲われた。前に勤めていた会社で、隣の仕事机で風変わりな若者が黙々と食事をとっていた。それを見た上司が一言。「マカロニサラダだけでよくもつね」彼曰く、「マカロニも麺類の一種ですから」これって、倉阪さんよりももっとおかしくないか。
P87の「天皇暗殺計画」は、やはり面白い。
これは万人が認めるくらい愉快な話なので、さらっと流すが、バラすは印刷関連独特の業界用語のようにも思えるが、日本語で何か物を壊すことをすぐにバラすという殺人用語で表現するのは何故なのだろう。物をバラす(分解したり壊したり)ことで日頃のストレスを発散しているのか。じっくり考えると恐ろしい。
P98の「奇人と廃人の間」は、巧妙な図の解説に妙な説得力がある。
奇人と常人(更に、常人の真中で横に点線を引き、明暗の矢印を上下させる)と廃人を設定して、山の山頂(奇人)と麓(廃人)に例える。常人の真ん中を目指して己れをザイルで引き上げる方法には、どうしても無理があるので、麓の少し上の変人の位置に自分を安住(設定)させるのはよく判る。その位置が崩れるのが、懐メロ歌謡のカラオケなのが何とも可笑しい。この図をよく掌握してから、自分の位置(立場)を確かめて生きていくと、変人には変人の人生があることが次第に自覚されるようになってくる。
P141「極私的六曜暗唱法」は、P56同様、倉阪さんの天才気質が顔を覗かせる。
QCの提案制度(前の会社でもあったが、全く提出しなかった)の絡む一件。カレンダーの六曜(仏滅・大安・・・)、つまり今度の何日は、六曜の中で何にあたるのか(先勝か友引か)を独自の記憶法で覚えるというものだ。「仏陀・釈迦・山師」の漢字を当てて記憶するのだが、最後の用語を、小説「山師トマ」から取っているのが渋い。会社で賞を取ったことよりも、山師という用語を思い付いたことに対して拍手を送りたい。(本作が映画になっていたのは知っていたが、ジャン・コクトーの小説が原作になっていたとは思ってもみなかった。しかも、映画ではコクトーが脚本で参加し、監督が『顔のない眼』のジョルジュ・フランジュだったのには更に吃驚した。監督はロベール・ブレッソンだと思いこんでいたからだ。どうも、『ブーローニュの森の貴婦人たち』と『田舎司祭の日記』あたりが重なって、妙な勘違いをしていたようだ。〈題名が全く違うのに不思議だ〉いい勉強になった。)
P221「凍る現場」は、多少の狂気が孕んでいて怖い。
ここに書かれた意味不明の絵は、一体何なのか。頭の調子が悪くなって書いた絵は、倉阪さん自身も常人のものとは思えないと言っているくらい酷いものだが、顔のような絵の下に書かれた三の文字に見える五つの数字は何を意味するのか。そして上を指す長い矢印は何。意味不明なだけに無理にでも意味付けをしたくなってくる。そんな私も変な奴か。
P239「呪われた詩人」では、P141の発想力とは違った倉阪さんの文学的な天才肌を伺い知ることが出来る。
倉阪さんは短歌・俳句・詩・小説、全てに精通している博識家だが、ここに記された詩人達の名前もさることながら、澁澤龍彦さんが敬愛した日夏耿之介の『転身の頌』と『黒衣聖母』の序文を引き、天才と狂気が紙一重であることを立証してみせる。日夏耿之介を熟読していくうちに、次第に耿之介の苦悩(天才ゆえに凡人からは理解されない〜“頭脳の間に流す汗”が直接生活の保証に繋がらないことへの歯痒さを唱える)が、倉阪さんに次第に乗り移っていく様が楽しい。
ざっと特徴的なもの寄りだしてみたが、倉阪さんが会社ではなく、世間の中で位置付けられている居場所は、P98の「奇人と廃人の間」に准えていえば、やはり「天才と狂人の間」ということになるだろうか。天才なるがゆえの苦悶、凡人に合わせることの苦痛、それは図りしれないものがあったのではないか。凡人からすれば、何でこんなことで怒るの?といった事柄が、天才には無性に腹が立つという場合がある。終盤近く、倉阪さんが何度も上司にブチ切れるところを、この流れの中であえて取り上げなかったのは、ブチ切れ方が日記の中での坪内さんとあまりにもよく似ていたので比較してみたくなったからだ。
坪内さんには悪いが、ここで少し登場してもらおう。
『酒日誌』P70の品川駅の飲食コーナーでの話だ。坪内さんは晶文社の知人二名と飲食店に入る。少し狭いスペースだけれど、コーヒーだけだから他からイスを持って来て座っていいかと晶文社の人が店員に尋ねると、「テーブルに食事が乗り切りません。」という愛想の無い答えが返ってくる。ここでまず坪内さん少しむっとくるが、じっと我慢。そこで席を移動しようと思い、立って待っていると、店員は「そこに立っていられると他のお客さんの迷惑になるんですけど」と再び文句を言う。ランチタイムにコーヒー一杯で居座る客は邪魔だということかと、坪内さんは即座に推察。ここで坪内さんがブチ切れ、帰り際に捨て台詞を吐く。「バカヤロー、こんな店、二度と来ねえよ」
この一旦我慢しているところに、追い討ちを掛けるように怒りを煽る波状攻撃は、倉阪さんのP207の二穴パンチのロッカー投げ込み事件とよく似ていないか。過激な一言「俺は切れているんだよ!」が社内に鳴り響く。この何度かの我慢は、次の校正確認の件(P212)でもいかんなく発揮される。「一人校正しただけで果たして信用できるかなと思うんですよ。」と営業担当は言う。それを繰り返し口にしたため、三度目に倉阪さんは再び切れるのである。「なんだあの営業、口のきき方を知らないのか」
片や坪内さんだが、『酒日誌』P75の東京ドームでのガードマンとの口論なども笑えるが、『本日記』でP182の坪内・野口悠紀雄論争の最中に放たれた小坂橋二郎さんの以下の言葉に鋭く反応する、喧嘩っぱやい部分がとても好きだ。「この坪内というライターが、論争を挑むに足る相手かどうか、はたからみても少々むなしい気がしないでもない」と言い、坪内さんの文章を「悪文」(私も坪内さん同様、褒め言葉だと取りたい。今の評論家にはあまりにも毒が無さすぎる)と言ったらしい。この言葉を忘れずにいた坪内さんは、ちくま文庫から出ている小坂橋二郎の新刊を読んで、皮肉も交えて「名文で書かれたなかなかの名著だった」という。おそらく本音だろうが、小坂橋さんの文章の質が少しでも低下したら、すぐに突っ込んできそうな気がする。坪内さんは執念深そうだから・・・(実をいうと、私も相手から受けた仕打ちをいつまでも忘れない陰険な奴です)
またまた、本題から外れてしまったが、退職間際に倉阪さんがブチ切れた瞬間は、過去二回と違った様相を呈す。幾度も我慢してから暴言へ吐くといういつもの展開ではなく、校正紙の上にあったメモに不満を爆発させてしまったのだ。この流れが後々大問題を引き起こし、究極の捨て台詞「辞めてやるよ!」に繋がっていく。不満を言葉ではなく文字で発散させるという大人の対応へと進化させたことが、仇となって返って来たわけだ。世の中とは本当に不合理なものである。
以前いた会社で現場の製造担当でやたらと突然切れる奴がいた。いい年なのに今も巷で氾濫している切れる若者とそっくりなのだ。ただ、困るのは坪内さんや倉阪さんのように、我慢した果てに爆発する怒りではなく、こちらの一言に過剰に反応して瞬間でブチ切れ、椅子を蹴るわ、机を引っ繰り返すわの大立ち回り、騒ぎが収まるまで全く手が付けられない。終わると嘘のように大人しくなるので返って始末に悪い。そんな連中から見れば、坪内さん、倉阪さんの理由ある怒りはある意味清々しく、こちらも納得が出来るので共感を覚えるくらいだ。
倉阪さんは、最後のあとがきで、物書きという存在の非日常性を説いてみせ、もはや普通の社会(会社)に戻れない自分が、今更日記を書いても面白いものは書けないと締め括る。長いが引用してみよう。
「さて、物書きという存在は、民族学的に言えばマレビトである。マレビトとは共同体を活性化させるために外部からやってくる異人で、祭りのなまはげや鬼などを想像していただくといい。小説中心の物書きとなった現在では、なおさら生活の記録めいたものには食指が動かなくなった。普通の社会で鬼が暮らしていたからこそ異様な緊張感が生まれたのであって、鬼の社会を書いても面白くもなんともないだろう」と自己分析している。
鋭い指摘かとも思うが、半分合っていて、半分は間違っているような気がする。小説家という異人であれば、誰もがこのような日記を綴れたとは思えない。異人の中でも天才的な感性と知性を備えていなければ、このような特異な日記は生まれなかったということだ。倉阪さんのような突出した異人(奇人)が、今後普通の社会を特別な目で観察することはもう二度とないのではないか。
現実不適応者を自認する怪奇作家が、ほんの僅かな間だけ一般社会を覗き見た(経験した)ことが、この奇妙な余韻を残す怪作を生み出す要因になったのだろう。

≪付記1≫
坪内祐三さんの『三茶日記』P100で、本書のことが触れられている。「夜、仕事を中断して読み始めたら止らない。でも、締め切りを遅らせるわけでは行かないので、百頁ほど読んだところで我慢。この本の面白さを、例えば亀和田さん(この感覚よく判ります)や中野翠さんに伝えたい。」とある。類は友を呼ぶというが、これを心底面白いと感じるか、単に奇妙な話だと感じるかで同類かどうかが判断出来る。
つまり、坪内さん、亀和田さん、中野さんの本を愛好する人には、必読の書だということだ。

≪付記2≫
本編読了後、浅羽通明さんの解説「会社に落ちてきた男―謫仙クラサカの遍歴時代」を読む。
単行本時の解説題名「謫仙滑稽譚―会社「世間」をめぐる冒険」を何故改変したのかは判らないが、文庫のほうが意味深だ。(ただ、全体的に回りくどくて読み難い文章で、好みの文体とはいえない)特に・・・に落ちてきた男のフレーズは、ニコラス・ローグ監督・デイヴィッド・ボウイ主演の映画『地上に落ちてきた男』からの借用だと思われるが、それに纏わる解説文中の以下の一節が気に掛かった。少し引きたい。
「謫仙 倉阪鬼一郎は、単なる会社「世間」を傍観する滞在客、アウトサイダーにはとどまらない。彼自身をもその集団的一体性の中にからめとらんと、たくみに誘惑の触手を伸ばしてくる会社「世間」を相手に倉阪が繰り広げる、かっこよくかつコミカルな終わりなき防衛戦のダイナミズムが、本書をして(以下略)」(P266)
この部分を元に、浅羽さんが表題を考えたことはほぼ推測がつくのだが、世間を傍観するだけでなく、自ら世間に舞い降りてみる謫仙倉阪さんの姿が、諸星大二郎著『無面目』(『無面目・太公望伝』所収)の主人公の神仙と重なってしょうがなかった。この物語は、二人の神仙が無面目から話を聞くために、目・鼻・口・耳を顔に書き加えたことから始まる。冒頭、自らの意思で地上に身を置いた神(本名は混沌)が見た人間界の不可思議さに触れられているが、次第に自身が周りの汚れた環境におかされていく様が色濃くなる。神仙をも取り込んでしまう世間の強烈な毒は、倉阪さんには会社という枠組みの中では浸透しなかったようだが、幸せな家庭(奥さんと娘と猫)では次第に侵食しているように思えるのだ。
最近お気に入りブログに追加した「倉阪鬼一郎の怪しい世界」では、その倉阪さんの普通ぶりが窺える。確かに、囲碁・将棋や昭和歌謡への興味に変化はない(対局を見る視点は尋常ではなく、身体に良いということで始めたのであろう走ることへの情熱も通常の域を脱している。食へのこだわりも凄まじい。)ようだが、視線の暖かさは独身時代にはなかったものだ。
家庭を持った現在の環境を堕落とまでは言わないが、『無面目』の神仙のように、誰もが踏み越えることの出来ない特異な思索の領域が、徐々に狭まっているような気がしてならない。混沌がいみじくも漏らした「目を見ずとも天地のことは五行の動きを通じてわかる。へたに目でみようとする者こそ、物事の本質を見誤るのだ。」の言葉が引き受けて、最後に亡くなった混沌を見つけて、老神仙が感慨深げに呟いた一言「内部の深い冥想こそが混沌の本質じゃった。わしらはその混沌に目鼻をつけることによって、その本質を殺してしまったのじゃ。混沌は顔を持ったときに、すでに死んでいたのじゃ・・・・・・。」に何か示唆めいたものを感じる。
倉阪さんにとっての家庭という存在が、神仙が顔を持った状態と同様のものでないことを祈るばかりだ。

≪付記3≫
倉阪さんの書評集『夢の断片・悪夢の破片』に目を通してから、草森紳一著『オフィス・ゲーム』の窓に纏わる感想を、HP”その先は永代橋“5/26付のコメント欄に記したのだが、批評の中で他にも気になる箇所があった。以下の一節である。
源氏鶏太が晩年怪奇作家に転向した謎に対する解答は、おそらく本書(『オフィス・ゲーム』のこと)に潜んでいよう。明るかるべきオフィスに不意に現れる仄暗い影は、あるいはサラリーマンという名の現代の佯狂たちの“怨”の集積かもしれないのだ。」(“その先は永代橋”でも一部引用 P301)
オフィスに屯する怨霊が、明るいユーモア小説ばかり書いていた源氏さんの背後に忍び寄り、強引に邪悪な筆を執らせたかのような錯覚を呼び起こさせるような文面だ。この思わせぶりな言動に気をとめながら、関連するHPを検索していると、何と本書(『活字狂想曲』)でも源氏さんの怪談小説に触れていることが判った。あわてて本文を読み返してみると、以下の一文が目に入る。会社内で起こった偶然の死亡事故に思いを馳せ、会社の裏側に潜む真の怖さ(不気味さ)について記した後の一言だ。
「さて、源氏鶏太といえばサラリーマン小説の大家だが、後年好んで凡庸な怪談を書くようになり、読者の首を傾げさせた。なんとなく、気持ちがわかるような気がする。」(P180)“真夜中の墜死”より
この”凡庸な怪談”という言葉から、さして重要な箇所でないと思い込んでしまったようだが果たしてそうか。本当に凡庸な小説であれば、倉阪さんが二度に渡って取り上げるとは思えない。そんな複雑な感情を抱きつつ、初期の代表的な怪談集を収めた『死神になった男』(角川文庫)を読んだ。
結果を記せば、全体としては倉阪さんが指摘した通り、凡庸な怪談という言葉に尽きるのだろう。サラリーマンを主人公にしたユーモア小説に、幽霊や鬼や妖怪などを無理に結びつけた『東京の幽霊』『鬼の昇天』の何ともいえない後味の悪さは如何ともしがたく、怨念を孕ませた『死神になった男』『妖怪変化』もシリアスな部分が前面に出ている分、安手の作り話と言わざるを得ない。そんな中、怪談物の第一作『幽霊になった男』『自分の葬式を見に来た幽霊』『口ひげをはやした息子』『二号の恩返し』の心温まる交流風景は、源氏さん独特のもので、他の作家には真似出来ないものだ。
作者はユーモアと怪談という水と油の融合に、自身の新境地の開拓と今まで手掛けられなかった汚い欲望が渦巻く人間世界の表出のための重要な糸口を見出そうとしていたのではないか。ただ、この本を読む限りでは、ユーモアと怪談の結び付きは、お世辞にも成功しているとは言い難い。以後の茨の道を見越して、倉阪さんは“凡庸な怪談”と称したのではなかったのか。
怪談を手掛ける上での作者の熱い意気込みが、『死神になった男』の解説で紹介されているのだが、その内容が何とも暗示的だ。
「ユウモアを捨てた小説が私の場合、たいていつまらなくなっていることは先にも書いた。そういうことから私は、善意のユウモアでなしに、悪意のユウモアに移ろうと考えた。いい直せば、ドロドロとしたブラック・ユウモアである。そこにこそ人間社会の真実があるように思われて来た。」(P222)
奇怪な出来事が頻出する怪奇譚が、どれくらいの確率で心地よいブラック・ユーモアとして結実しているのだろうか。もう少し源氏さんの紡ぎ出す暗鬱な物語と付き合ってみるつもりだ。

≪付記4≫
一旦夢中になると、興味の対象が常に頭に浮かび、消し去ることが出来ないのが私の欠点だ。
倉阪鬼一郎さんへのこだわりが、著作群への探索を自ずと促す。Wikipediaで大まかな全体像は把握出来るのだが、何かが足りないような気がして調べていたところ、“倉阪鬼一郎 著訳書リスト”という資料に出合った。倉阪さんの初期作品は、このリストからほぼ掴むことが出来る。特に特筆すべき点は、[その他の著訳書]と題された共著の項目である。おそらく、『地底の鰐、天上の蛇』『日蝕の鷹、月蝕の蛇』『怪奇十三夜』(全て幻想文学出版局)といった本を出した直後で、時間的余裕があった時期に、アルバイト感覚で渋々引き受けた仕事のように推測される。『江川卓よ!』(大陸書房 守屋等名義)などは、いくら野球好きだからといっても好んで応じた仕事とはとても思えない。
そんな系列の他愛も無い本と信じ込んでいたのが、『珍作ビデオのたのしみ』(カルトビデオ冒険団著・青弓社)である。ただ、著訳書リストの書名横に“B級以下のホラービデオ評”と追記されているのではないか。怪奇作家がホラー映画について語っているとなれば、食指が動くのは如何ともしがたいところだ。
早速、本書を購入し目を通してみる。予感は的中した。とてもやっつけ仕事だとは思えないほど、倉阪さん自身が心の底から楽しんでやっているのが判る。最初は、ホラーでもC級の中以下、倉阪さん流に言えばそれこそクズのような映画を任されて、「何で俺がこんなクズ映画を担当しなければならないんだ!」とでも言いながら、何度もブチ切れて感想を記しているのかと思っていたら、さにあらず自分から率先して引き受けていた節が見て取れるのだ。イタリア映画『ビヨンド』(カルトホラーとして伝説化している)の一文から窺える。
「本作を入れるかどうかについて正直迷った。いかんせん知名度が高すぎるし、出来も良すぎる。なんでこんなことで悩まねばならんのかと思いつつも懊悩した。だがやはり、“怪作”という部分にこだわれば、この血まみれの金字塔を逸するわけにはいかない。文句のある物は申し出よ。」P129
締めの居直りにも似た叫びが何とも可笑しいが、冒頭の著者の苦悩ぶりで、B〜C級の上クラスの映画を敢えて省いている自分なりの頑な意思を見て取ることが出来る。常日頃から、クズ映画に深い愛着がなければ生まれない厳しい自己規制と言い換えてもいい。
そんな倉阪さんの絶え間ない歪んだ愛情が数々の名言を生み出す。題名は省略するが、言葉の断片から、映画に注ぐ限りない慈しみの視線(出鱈目な表現をも許してしまう)が感じられるのだ。
「だいたいスプラッターというもの、婦女子は襲われる側に身を置いてキャーキャーいっておるが、加害者の立場に立てばこんなに気色の良いものはない。」「ドブ川から百円玉をすくとるようにクズ映画からバクハツシーンを発掘する―それがC級マニアの陰気な楽しみなのだ。」「『血の魔術師』ならともかく、『2000年の狂人』を代表作にするような批評家などは犬に喰われるがよい。」(この文章では、本文〈『活字狂想曲』書評〉で犬に食われろと・・・記したところと言い回しが重なっていることに気づく。何という偶然。H・G・ルイス監督作品では、『血の魔術師』を代表作と思い込んでいた私は批評家ではないが、犬に喰われないですむということか。)「八十年代スプラッター・ムービーの頂点を極めた必見の病気作である。」「蛇蛇蛇蛇蛇蛇・・・・の文字を乱打させ、蛇がまとわりつくイメージを植え付けさせる」(他のHPでこの文に触れていた方がいた。流石!)
この一節を目にするだけでも、並の感覚の持ち主でないことが十分判ると思うが、計り知れないほど凄まじいクズ映画への異常な没入(偏愛)ぶりは、周りの人達にも自然に伝わる。カルトビデオ冒険団(全員で五名)の執筆者の一人伊藤勝男さんが、倉阪さんのコメントを読んだ後に発した一言に、全てが集約されている。
「倉阪君が書く、愚作は愚作としての価値観があるにしろ、声を大にして奨める訳にもいくまいと思うのだが・・・・・・。」
最後に、本書(『珍作ビデオのたのしみ』)で、倉阪さんが犯した小さなミスを指摘しておきたい。『マンハッタンベイビー』の監督ルチオ・フルチの非ホラー作品は、『続・荒野の用心棒』ではなく、『真昼の用心棒』である。(P130)博学な倉阪さんにしては、考えられない単純なミスだ。倉阪さんの人間らしさを思わぬところでみた。
蛇足だが、この本で紹介されているケビン・コナー監督『地獄のモーテル』(担当はむろん倉阪さん)を初見したが、案の定目も当てられないような惨憺たる代物だった。ただ、本作が藤子不二雄A著の『魔太郎がくる』の挿話うらみの七十九番「ボクはごちそうじゃない」や短編「北京填鴨式」(『ブラックユーモア短編集 第二巻 ぶきみな五週間』所収)を生むきっかけになったことにほぼ間違いなく、他人をも巻き込む強い影響力という部分では感心する。藤子さんも以外とC級ホラー好きなのかも知れない。(お気に入りブログに載せている「最低映画館」では、ふと見過ごしてしまうような丸秘話が記されており、それが映画を見る際の貴重な面白情報となっている。一読の価値あり。)