『D・Sダブルセンス(重層感覚)』(乾正人〔千草忠夫〕著) S&Mスナイパー84年8月掲載

雑誌掲載の小説(未単行本化)を書評するのは掟破りかとも感じたが、この小説に自分なりのけじめを付けたい意味もあり、非難を承知であえて取り上げることにした。
数年前に、購入した古本雑誌に掲載されていたこの短編に目を通した最初の印象は、“千草さんが、珍しくスランプにはまっている“という予想外の展開に対しての居心地の悪い焦燥感だった。面白いという感情は、この時には全く沸いてこなかった。ただ、重苦しい余韻が残る奇異な物語だったことだけが、記憶の奥底にはっきりと刻み込まれていた。
先日、溜まった古本雑誌を整理していた際に、たまたま手にしたのをきっかけに再度読み直してみた。読後のすっきりしない感慨は前回と変わらなかったのだが、神経症を孕んだ陰鬱な文章の端々が、こちらの過敏な神経を逆撫でせず、逆に心地良い刺激を与えてくれたことに気づいた。
物語は、病気を抱えながらも、書く行為を永遠に継続しなければならない、全ての作家が背負う奥深い悩みが中心に据えられている。この時期、実際に千草さん自身が狭心症にかかり、精神が不安定になって、自閉症とノイローゼを併発させていたのではないかと思えるほど、脱力感・無力感が文体の狭間から、切実な嘆きとなって伝わってくる。ただ、書けない作家の苦悩を延々と読まされることは、読み手に過酷な苦痛を強いることになるのだが、そこは千草さんだけあって筆が進まない苦難の日々の中で起る、日常の奇妙な幻覚を見事に掬い取ってみせ、決して飽きさせない。
ある時主人公は、自宅の凹の字をした奥の二階部屋の天上部分から、見知らぬ女の嬌声を聞きつける。最初は、この声を単たる幻聴として聞き流していたのだが、毎日午前三時頃に耳にするうちに、次第に女の次の動向が気になっていく。だが、午前三時起きは神経に障り、狭心症患者には良くないので、数日間この日課をやめて、女の声を強制的に自分の耳から遮断させることにする。
といっても、毎日の定例と課した行為を抑制すると、返って無性に実行に移したくなるのが人間の習性だ。久しぶりに早起きをした主人公は、再び耳にした女のよがり声の思わぬ変貌に驚愕の様相を呈す。交わっている男性(声は聞き取れない)との激しいSMプレイを行なうまでにエスカレートしていたのだ。原稿を書かずに神経を過敏に反応させ、エロスの幻聴に聞き耳を立たくなる気持ちはよく判るが、見知らぬ男女の淫靡な声を繰り返し聞いて、性的興奮はこれから先も継続可能なのだろうかという余計な心配すら浮かんで来た。
そんな中、主人公は奇妙な感覚を覚える。自分が昔どこかで実践したことのある光景(幻想)の再現にように感じられはしないかと。既視感(デジャヴュ〜ここでは正しくは既聴感だが)をきっかけに、より鮮明な過去の記憶を呼び覚まされ、隠された異常な日常が表に曝け出されて来るのだ。その記憶が明確になったのは、夏場に女が手首に痣が残るのを恐れ、毛糸を編んで捻り、それを縄のように見せて縛る方法を提案にて実行に移すシーンを耳にしたことによる。これは、正に主人公が妻に懇願された緊縛手法だった。
過去に、自分が残忍な縛り行為を犯したことによる後悔の念が生んだ幻聴なのか、再度そんな女を求めたいという自己の奥底に沈殿している邪悪な意識(潜在願望)の現われなのか。
最後にこの症状の原因が、病気によって衰弱した脳が多次元空間の障壁を脆弱にして、このような幻聴が生まれたという結論へと強引に導かれていく。「つまり、凹の字型の側面を中央から折りたたむと、前二階(主人公は、以前凹の字をした手前の二階部屋〔今は子供部屋〕に寝ていた)と後二階とはピッタリ重なるのである。言い換えれば、あの時代の時間空間が何らかの理由で折れ曲がって裏二階に重なったのではないか。」といったように、多次元の時間空間が曖昧になり現出した幻だと、主人公は規定するのだ。女の声の違いは、時空のひずみを通過して聞こえたので、こちらには違って聞こえたと補足される。確かに、SF的な解釈で時空の歪みが生み出す怪奇現象として証明されないこともないが、それを呼び起こした原因が、建物の位置関係(昔と今の居住空間の配置の相違)にあったというのは何か腑に落ちなかった。
でも、流石千草さん、様々な解釈が出来る最後の糸口をきちんと残しておいてくれる。ラストで一階に寝ている妻の症状を盗み見た時に妻が示す表情の中に、その意味が隠されていたのだ。「妻はキチンと仰向けに横たわったまま眼をカッと見開いていた」と書かれている。見開いていた瞳が直視しているのは天井の先、そう二階だったのである。
私には過去に毎夜行なわれていた淫靡なSMプレイを、今も妻が期待して待ち望んでいるような感じがしてならない。ただ、多忙な夫には、その希望を叶えることはもはや出来ないだろう。過去の幻影に縋り付くしかない妻が、自分の身体を一人寂しく慰めていたとしても、別に不思議ではないのだ。この悲痛な喘ぎ(妄想)が、多次元空間の障壁を揺るがす大きな要因になったとは言えないだろうか。
一見、作家の書くことの苦痛を赤裸々に開陳したように見せかけながら、その苦悩の果てに見える怪しげで魅惑的な幻覚・幻聴の正体を鮮やかに掴み取って読者の前に披露する。やはり、千草さんは只者ではない。

≪付記1≫
学生時代に、中山潔監督・夢野史郎脚本の『指と舌ぜめ』というヒッチコックの『裏窓』に着想を得たと思われる奇怪なピンク映画を見た。安易な男女の恋愛ではなく、主人公が窓から覗き見たアパートの一室で行なわれている異常なSMプレイの光景が、あたかも日常空間から全く切り離された別世界の出来事のように思え、欲望とか快楽といった甘美な性衝動の範疇を遥かに超えた、悪夢のような迷宮に引き摺り込まれた。
この独特な異次元空間の匂いが本書にもある。小説・映画ともに、主人公は隔絶された場所にいるので、女の嬌声が聞こえてくるはずはないのだが、時空を越えて耳奥に密かに鳴り響くかのような感覚を呼び起こさせてくれる。偶然の符合にしては、少々出来過ぎだ。
≪付記2≫
千草忠夫著『悪魔の刻印(上・下)』を読む。長文の書評を予定していたが、読後思っていたような愉悦感が生まれなかったので、付記として記することにした。
悪魔国の支配者(佐野享平)、生贄への刻印(恥部への剃り込み)、磔柱、マジックミラーのある調教部屋、冷酷非情な悪魔の手下(時田兵六)、同性愛(レズ)、儚くも美しい悲惨な時代劇絵巻の夢想にほぼ一章を割いた「妖かしの舞」などの数多くの魅惑的な素材を元に、現在の関心事である悪魔術や秘密結社のグノーシス派集団、薔薇十字団、フリーメーソンで行なわれた秘密儀式(入社式など)を旨く絡めて論じれば、刺激的な批評が書けると思っていた。
だが、生贄(美女)を無闇に増やした為に、肝心の悪魔の所業が後半生温いものになってしまい、書評の筆を取る意欲がついに沸かなかった。第八章「瑠璃色 六人の女」の残虐芝居も、第二章「妖かしの舞」を引き継いだものだと思うが、残念ながら愛欲場面(見せ場は串刺しの刑)は空回りしている感が拭えない。
意余って言葉足らずといった印象を受けた。