『悪魔王国の秘密』(監修 佐藤有文) 立風書房

HP「書肆月詠」で紹介された年少者向けの悪魔学本である。内容は児童書とは思えないくらい、邪悪な匂いを沸々と漂わせている。
「書肆月詠」によれば「ビッグジャガーズスペシャル」と銘々され、佐藤有文さんの監修で『ソロモン王の魔法術』と本書の二冊が刊行されたらしい。但し、古書価は現在も上がっているようで、簡単に購入することが出来ない状態になっているのがとても残念だ。そのような本を紹介するのは少々気が引けるが、感想を書き留めておきたい欲望をどうしても抑えることが出来ないほど惹き込まれたので、あえて取り上げることにした。
つい数ヶ月前に、澁澤龍彦著『黒魔術の手帖』を再読した際に感じたことなのだが、学生時代には全くと言っていいほど頭に残らなかった言葉の断片が、水に浸した布のように自然に浸透してくるのがとても不思議に感じられた。最近の書評で、この本の引用が多くなったのはそのせいだ。澁澤本の読後余韻を引き摺ったまま、本棚の片隅に埃塗れになって埋もれていた『悪魔王国の秘密』を偶然手に取った。購入時には、さらっと目を通しただけで熟読しなかったせいか、その内容は思いがけない新鮮な驚きと感動を与えてくれた。
まず、秋吉巒さんの表紙絵と挿絵の数々が素晴らしい。秋吉さんは、戦後のカストリ雑誌やSM雑誌の挿絵画家としての印象が強いので、何故このような怪奇児童書に挿絵が掲載されることになったのかが奇妙に思えた。この本の出版が1987年で、秋吉さんが亡くなったのが1981年なので、明らかに本書のために書いた挿絵ではないことが判る。
こう考えると、秋吉さんの幻想・怪奇絵画を以前から目にしていた監修の佐藤有文さんが、秋吉さんの親族から挿絵掲載の了解を強引に取り付けたとしか考えられない。(秋吉さんは少々気難しいところ〔生前一枚も画を売らなかった〕があったようなので、生前では掲載の了解は得られなかったかも知れない)その佐藤さんの熱意のせいか、秋吉さんの挿絵に添えられた佐藤さんの筆による短文が、非常にうまく嵌っていて、精巧で頑強な悪魔王国の建設に一役も二役も買っている。ほとんどがSM雑誌に掲載された物の再録だと思われる挿絵だが、その画が紆余曲折の末に辿り着いた場所が、心地よい天命の地だったかのような感慨を抱かせる。まさに、本と挿絵との目に見えない絆のようなものを思い起こさせる至福の瞬間だ。
秋吉さんは、その淫靡で深淵な悪魔の世界を、細密で柔らかい独自の筆使いで丹念に仕上げているのだ。特に妖術使達のサバト(夜宴)と題された図(P29)は絶品で、一枚の淫猥な怪奇絵画として描かれたのではなく、画面の奥に仁王立ちする悪魔は、サバトを催す魔王レオナルドの存在を、強烈に意識して書かれたものであることが実感出来る。このまま秋吉さんの絵画のことを語っていると、とりとめがなくなるので切り上げるが、紡ぎ出される賞賛の言葉を無理に封じ込めると、胸が息苦しくなってしまうほど愛おしい挿絵群である。
さて、本の内容だが、澁澤龍彦著『黒魔術の手帖』と多分に重なっている部分が多い。当然、監修の佐藤さんが澁澤さんの本を熟読して、それを補う(澁澤さんに対して、このような言い回しは恐れ多いが)意味で書き始めたと思われる形跡が随所に受けられる。
悪魔サタンの誕生の経緯についてだが、澁澤さんが紹介する聖ヒエロニュモスによると、悪魔サタンは天上と追われたとき、配下の天使たちの1/3を引き連れてきたので、地獄にはおびただしい数の悪魔がいるとされ、ヨハネの黙示録では、天に戦争が起り、ミカエルおよびその使たち(天使)が竜と戦い、竜が負けてその後悪魔と呼ばれ、その悪魔がサタンとなり、その使たち(竜の仲間)も共に落されたとされている。この説以外にも、サタンとルシフェルは同じ人物とか、アダムとキリストを誘惑するために、二回だけ悪魔が地上に出てきたとか、様々な説があるようだが、佐藤さんは前説を採用し、更に補足としてサタンは十三番目の天使長で、名前も最初はサタンではなくサマエルだったと規定している。そのサマエルが地上界の人間を戒める役目を押し付けられるが、異議を唱えたために天使界と戦争になり、敗北した結果、地上界に追いやられたのだというのだ。天界の神々に復讐を誓ったサタンは、反キリスト教を掲げて、人間達を悪魔の誘惑で堕落させることに精力を注ぐことになる。海外で十三が不吉な数字ということになっているのは、ここら辺りの言い伝えが強く影響しているといっても過言ではないだろう。
ただ、渋澤さんも指摘している通り、キリスト教徒に試練を与える(人類を苦しめる)ことは、戒めの必要性から言っても不可欠で、悪魔の活動は天使の仕事を手伝っているという皮肉な結果を生んでしまうことにもなる。
「悪魔を呼び出す法」と題された部分で触れられる、魔法円の利用と書かれた図(P36)には、少々疑問が感じられる。魔法円の外に呼び出される悪魔の位置がはっきりと規定されていないのだ。この図では、魔術師と助手といけにえの人間側の配置しか示されていない。澁澤さんの『黒魔術の手帖』のP251(文庫版)にある位置設定には、悪魔の現れる場所もしっかりと示されており、JHS(おそらく何か悪魔の怒りを買った際に、逃げ道の役目を果たすのだろう)も円の外側に書かれていて、十分に納得出来る図になっている。魔法道具が、詳細に説明されているだけに惜しい欠陥だ。佐藤さんは、この澁澤さんの魔法円を見ていないはずはないので、意図的に独自性を出そうとしたのかもしれないが、思わぬ不備が生じていると言わざるを得ない。
第四章の「悪魔王国の組織と悪魔軍団」だが、HP「書肆月詠」でも触れられているが、悪魔軍団を縦割りの組織表にして、その幹部七十八名のメンバーを出来る限り詳細に紹介している部分が圧巻だ。ここも澁澤さんは、地獄譜の章で「地獄ではおびただしい数の悪魔がおり、ちゃんと位階制度や軍隊も出来ているということである。ヨハン・ヴァイエルの書物や、1522年アヴィニョンで出た『赤竜』という有名な魔法書には、この悪魔の位階制度が詳しく分析されている。」ときちんと指摘しているのである。ただ、その『赤竜』やこれも澁澤さんが触れているコラン・ド・プランシイの『地獄大辞典』などを手繰って、この組織図を製作したと思われる佐藤さんの執念と努力は、単なる児童書という枠を遥かに超えて、凄まじい情熱を節々に感じさせる。
第一軍団から第二軍団にかけては、下に配属される部下までも紹介されていて、その上悪魔の容姿、紋章とその効果、その悪魔が黒魔術を使うか白魔術を使うかまで懇切丁寧に記載してある。(第四軍団のエリゴスだけ、黒魔術の印が抜け落ちているのが惜しい)
悪魔達の中では、恐怖と狂気の大王バラムの存在が特に興味を惹く。 黒魔術と白魔術を両方駆使するので、人間に一方的に害をもたらすわけではないのだが、紋章の効果には、“めったに使わないほうがよい”と記載されているのだ。佐藤さんが亡くなっているので最早確認出来ないが、とても気になる言い回しだ。また、地獄帝国の長官ベールゼブブ(澁澤さんは、ベルゼブルと明記)が髑髏の印を押した蝿の化物が、帝王サタンと友好条約を結ぶとされるところから、巨大な悪の力を持っていることを再認識させられる。
首を傾げたくなるのが、魔女集会サバトの太守レオナルドの引用画だ。この挿絵は、澁澤さんの『黒魔術の手帖』にも載っているが、エレファス・レビィの本に掲載された両性神バフォメットと全く同じなのだ。確かにサバトから発展にした黒ミサで、キリスト教異端アルビ派が崇拝した両性神なので、見当はずれではなくむしろ非常に近い存在と言って良いかもしれないが、サバト(夜宴)が頻繁に行なわれていた十六・十七世紀に姿と現わした司祭レオナルドは、山羊の化物のような悪魔というだけで、両性具有の神ではなかったように思われる。佐藤さんは、単に山羊の化物という共通項を元に、レオナルドを両性神と結び付けてしまったのではないのか。ここら辺りが、ウィキペディアのフリー百科事典で、“資料(引用する絵画)の正確性において疑問を呈される”と指摘される所以なのだろう。
第五章の「悪魔の超能力と正体を見抜く法」と題された部分は、サタンは部下に七つの超能力を与えたとされている。どおりで、悪魔軍団の幹部七十八名のメンバーの能力紹介が被っているわけだ。特に2.の人間の心を奥深くまで読み取り、過去と未来を知る千里眼は、数多くの悪魔が保持している隠れた特殊能力と言える。
「悪魔の嫌いなもの」として、聖水・十字架・塩・印章・呪文・聖書・太陽の光といった事柄を目にすると、吸血鬼の苦手なものと奇妙に重なるが、反キリストを掲げる悪魔集団は、やはり神(天使)からのまともな攻撃を受けた場合は、吸血鬼同様ひとたまりもないのかも知れない。
P104の「悪魔の紋章と呪文」の項にある紋章を、メダルに刻んでおいて悪魔の魔力を借りたり、指輪に刻んで悪魔から身を守るという使用方法はとても興味深い。悪魔が同じ紋章でも、人間が身に付ける形をいろいろと変化させると、その効力も違ってくるというのは通常だと信じ難いが、壮観とも言える七十八種の紋章一覧(P106・107)を見ていると、思わず信じたくなってしまうから不思議だ。
「悪魔の好物」(P108)では、人間の心臓、髪の毛、爪、歯などが悪魔の好んだものとして紹介され、その好物の人骨、髪、爪などを使って、蛇、蛙、虱、蝿を作り出すと書かれている。サタンは、この虱や蚤を子分や魔術師、魔女達へ仲間のしるしとして与えていたそうだ。この部分は、雨宮慶太監督の快作『ゼイラム』の中で、怪物ゼイラムが巨大な植物の種のようなものから生み出す、手下の軟体奇形人間を連想させ、生命体の多様な増殖形態を感じさせる。
髪の毛、爪、歯は、憎い相手を呪う材料としても使われる。(澁澤さんの本では、題名もそのものずばりの「蝋人形の呪い」の章で触れられている)佐藤さんの場合は、呪う相手の蝋人形とともに、悪魔バズズの像を利用するあたりが澁澤さんとは違っている。悪魔バズズに地上に下りて来てもらい、呪う相手の魂を奪い取ってもらおうというのだ。この部分は、佐藤さんの説に多少説得力があるように思えたがいかがなものだろうか。
医学者・神学者占星術師でもあったパラケルススを、佐藤さんは白魔術師と規定している。その手法は呪い返しというもので、魔法円の中に呪っている相手の蝋人形を置き、それを三叉型フォークで突き刺すという魔法だ。呪いは相手に返るが、七日後には相手も元に戻って元気になるらしい。ただ、この手法は呪う相手があって成り立つことなので、数々の難病を治したとされるパラケルススには、少々当て嵌まらないような気がする。澁澤さんもパラケルススが常に持参していたものは、三叉型フォークではなく、神秘的な剣を手にしていたと指摘しており、錬金術の使い手ともされることから、蝋人形や三叉型フォークは用いずに、護符を活用して病気の治癒や金の抽出を行なっていたのではないか。
現代の白魔術師、バベッタの存在も見逃せない。悪霊を追いはらい、黒魔術の呪いを祓う方法に関しては、取り立てて問題にするまでもないように見えるが、彼女が白魔術パカニズムの秘法を受け継いでいて、それが古代カバラの秘法とグノーシス派の妖術を取り入れた魔法術であるという点に、深い興味を抱かされる。澁澤さんの著作の『秘密結社の手帖』の「グノーシス派の流れ」という章によれば、グノーシス派は女性の役割を高く評価しており、女性が司祭になったり、司教になったりは珍しくはなかったそうだ。それはグノーシス派の宇宙論が、男女二つの原理に支えられていることに関連している。そのグノーシス派の妖術を扱う魔女バベッタに、歴代受け継がれてきた白魔術の効用があるというのは多分に頷ける。
少々長くなったが、最後にP123の「悪霊を祓い、ライバルや敵を倒すグノーシスのメダルとシール」について触れてみたい。掲載されている絵柄三点の中の一点は、澁澤さんの『秘密結社の手帖』の文庫表紙にもなっているものだ。この護符は、澁澤さんによれば、雄鶏の頭は≪予知能力≫を、蛇の脚は≪精神と理性≫を、右手に持った楯は≪知恵≫を、左手に持った鞭は≪力≫を象徴しているらしい。この効用は、悪魔が持っている千里眼能力と何か似てはいないか。グノーシス派がやや知識に重んじたことを除けば、悪魔とグノーシスは驚くほど奇妙に重なり合い、キリスト教会に異端として同じように排斥されたことも符合している。こう考えると、天界で安穏としている神(キリスト教)に反旗を振り返し、神秘思想を極める(キリスト教だけが理想郷を追い求めているわけではない)為に、黒魔術と白魔術がグノーシス派へと更なる進化を遂げていったのではないかとも感じられた。
今後、もう少し黒魔術の文献に関わっていきたいと思っている。
この本は、僅かな破綻があるにも関わらず、今まで知らなかった魅惑的な黒魔術の世界へ誘ってくれた。
今は亡き佐藤有文さんに感謝します。