『彷書月刊』(2009年10月号 特集・草森紳一の右手) 彷徨舎

草森紳一さんの名前は、だいぶ前から知っていた。そこには、ジャンルを問わずに様々な雑誌に読み易い短文を寄せていた器用な随筆家といった記憶しか残っていなかった。おそらく、新刊雑誌を熟読せずに読み飛ばす癖のある私は、草森さんのことを強烈な個性を匂わせない書き手、つまりその他大勢の作家の一人としてしか見ていなかったように思う。
それが、最近あるブログ【daily sumus】で、「草森紳一の右手」と題する小さな記事を目に留め、その記事を読んで印象が大きく変わった。一読後、早速草森さんの経歴を調べてみたところ、その結果に愕然とした。単なる一文筆家にとどまらず、マンガ・美術・音楽・歴史・スポーツ・広告・文学・政治・写真・建築・宗教と幅広い分野で評論活動(本人流に言うなら雑文家業)を行ない、数多くの刺激的な書籍を残された、ある意味で雑文界の巨星のような存在だったことに遅ればせながら気がついた。
その偉大な足跡は、白玉楼中の人 草森紳一記念館というHPを覗いていただけば良く判る。このHPは、携わられた蔵書整理プロジェクトの方々の労力が随所に窺われ、年譜や蔵書の検索に触れるといかに丁寧な紙面作りを心がけていたかを伺い知ることが出来る。日々の地道な努力が、このような魅惑的なHPの形となって結実したのだと思う。題名の“白玉楼中”という用語は、草森さんが敬愛した中国の詩人李賀の故事から引いているようで、先人がその意を汲み取れば、必ずや随喜の涙を流して喜ぶに違いない。
思わず長々と 横道にそれてしまったので、ここで本題に戻ることにしよう。
この本は、他の文芸誌の特集本のように、草森さんと馴染み深い物書き連中が自分にとって愛着のある本を取り上げたり、在りし日の本人を偲んだ文章を寄せているというわけではない。本人の過去のエッセイ2編と以前出版された本の初出の雑誌掲載から単行本化へ到るまでの校正(書き込み)・構成案・企画メモ・生原稿、自身が撮ったスナップ写真の数点などで占められている。相当の本好きか草森さんの熱狂的なファンでないと見向きもされないようなマニアックな内容だが、これが期待にたがわず非常に興味深い文章と資料で埋め尽くされているのだ。普通なら処分してしまうようなメモの類まで、後生大事に取っているあたりがいかにも草森さんらしい。
まずは、エッセイの一編「枡目の呪縛」についてだが、冒頭で少し触れたHP daily sumusが、草森さん流の枡目の解読に疑問を投げかけている部分に興味をそそられる。
草森さん曰く、「原稿用紙の枡目の出現は、おそらく印刷術と大きくかかわっている。萩の勤皇僧月性の発明ともきくが、彼は自らの塾「清狂草堂」で出版もやった位だから、活字が拾いやすいようにという配慮から、枡目のある原稿用紙を作るに至ったのだろう。「縦二十字」の決定には、書き手の視覚や呼吸、腕の長さまでも、それなりに計算されているはずである。」これに対してdaily sumusは、「月性が編纂した『今世名家文鈔』(河内屋忠七等)は二十字詰めの版面になっている。しかしそれは木活字版ではなく整版のように見える。整版なら一枚板から掘り出すので活字ではない。〔活字が拾いやすいように〕というのは何を指しているのか?」と問う。続いてdaily sumusは、松本八郎さんの説を引いて「〔書き手の視覚や呼吸、腕の長さまでも、それなりに計算されているはず〕という説だが、原稿用紙の二十字というのは書き手のことを考えてではなく、いみじくも草森が指摘しているように〔活字を拾う〕ことから生まれたシステムのようである。そう説くのは松本八郎「四百字詰原稿用紙の話」(初出は一九八四年)。」と述べる。
daily sumusは、草森さんが引き合いに出した月性に関して、『今世名家文鈔』(河内屋忠七等)のみを取り上げて、木活字版の生みの親があたかも月性ではないようなニュアンスの言い回しをされているのはいかがなものかと思う。私も専門家ではないので詳しいことは判らないが、『今世名家文鈔』の前に、『護法意見封事』『仏法護国論』といった文献も出されているようで、月性が過去に携わった書籍を詳細に調査しないと、原稿用紙の由来に月性が本当に関わったかどうかの判断は安易に下せないような気がする。
草森さんは、竹荘生なる人物の筆写本を目にして「読みやすい、書きやすい、拾いやすいの生理的限度が原稿用紙を作ったのには、それなりの根拠があった」と感慨深げな言葉を漏らす。そう、一見非論理的かとも思えた〔書き手の視覚や呼吸、腕の長さまでも、それなりに計算されているはずである〕という草森さんの神秘的な視点(解釈)を窺わせる原稿用紙の由来説にも、ある程度の論理性はあったのである。
また、このエッセイで自殺したマラソンランナーの円谷幸吉の遺書に触れている箇所が印象深い。確か私はBS放送円谷幸吉の遺書が朗読された時にその内容を耳にして、遺書なのに少しも暗さを感じさせない詩的な余韻が漂う文章だなと感じた記憶があった。そのどこが詩的なのかは、その当時自分ではその謎を解き明かすことが全く出来なかった。草森さんはそれを読み解いていく。(P4)
長いが引用してみよう。
「活字で読んだ幸吉の遺書は、食べ物への礼を列記することにより、人間が食べる生き物であることを呪的に知らしめる迫力をもっていた・・・(以下略)ここには、枡目の呪縛、ないし呪縛からの開放もないが、淡くて爽やか、軽々と気持ちよげなタッチで書かれている。・・・(以下略)食物のお礼の〔美味しうございました〕の扱いである。〔美味しう〕で切ったものと〔美味しうござい〕《本文をネットで確認(不謹慎なような気もしたが)したので原文は誤記と思われる。〔美味しうござ〕ではなく〔美味しうござい〕が正しい》で切ったものを交互のまじえていて、身も心も軽く悲しいリズムを縦罫の細い空間の中に作りあげている。・・・(以下略)円谷幸吉の遺書にはこのすべて(平心・直心・無心・調心)があるとあえて言ってよい。なによりも「調心」があるのが凄い。」
そして最後に、草森さんは指摘する。「遺書の肉筆は涼やかであるのに、その涼やかさの下に隠れる黒の情念をひきだしたのが、〔明朝体〕の活字だったのである。」と。
随分長々と引いたが、ここでは、私が感じた円谷幸吉の遺書が孕んでいる詩的要素の解明と、それを明朝体に活字化して隠れている闇の部分を浮かび上がらせた鋭い着眼点を見て取ることが出来る。
もう一編の「本の行方」と題されたエッセイには、本好きなら頷かずにはいられないような話が盛り沢山だ。ただ、草森さんが凡人と一線を画するのは、本を売ったり、あげたりしないことだ。挙句に図書館への寄贈にも疑問を呈する。“公共の図書館では、寄付された本でも時が来れば町の古本屋へ流れてしまう”と考える。草森さんは蔵書の安否を、自分の身内の行く末を心配するように不安がるのだ。冒頭の啄木の誤ってこぼした葡萄酒が、本になかなか染みていかない物悲しさを詠った詩を受けて、文末で自分が少年時代に寝転がりながら読んでいた本に剥いたミカンの汁が飛び散った光景を思い起こす。二つの液体を記憶の糸の中で結び付ける鮮やかな手際のよさは、さながら吟遊詩人を思わせる。
次は、構成案・企画メモにざっと触れてみたい。P6の『マンガ考』(この本はまだ購入していない)の構成案の中に、藤子不二雄さんの『黒ィせぇるすまん』と書かれている。これは、後に『笑ゥせぇるすまん』と題して、テレビアニメになって大ヒットした有名な漫画だが、この本が出版された1967年当時はこの漫画はまだ人気が出ず、周りから見向きもされていなかっただけに、あえて過敏に反応して取り上げているところが、いかにも他人の意見に感化されない草森さんらしい。ただ、別な意味で興味深いのが、P7にある「女にはマンガはわからない」に傍線が引かれて“題はかえる”となっているところだ。辛辣な言動が売りの草森さんも、男女同権の流れには同調せざるを得なかったようだ。
『円の冒険』の構成案には、初出掲載一覧が記載されている。他の本の構成案にも初出記事が付いているものが多々見受けられる。これでは担当編集者はいらないのではないかといったことが頭を過ぎったが、草森さんは「婦人画報社」の元編集者だったことでこの謎は解ける。自分の本を出版するために初出掲載を全てメモに書き留めて保管していた節が窺えるのは、『争名の賦』を雑誌「流動」から1〜3・6〜9で計七編、4・5の二編を東京タイムスから抜粋しているところから推測出来る。取り上げているのは中国の思想家九人だが、何故4・5にこの思想家二人をわざわざ差し挟んだのだろうか。興味は尽きないが、ここには草森さんなりの譲れない文脈への配慮があったような気がしてならない。
『素朴の大砲』の企画メモP23では、草森さんの手による素朴な子供のスケッチが紹介されているのだが、これはアンリ・ルッソー自身が描いた画にこのような一枚があって、そのコンテを描いて作品のイメージを膨らませたものなのか、あるいは“過去にこんなポーズのルッソーの少年時代の写真があったはずなので探してほしい”と草森さんが編集部に出した要望事項なのかのいずれかではないかと感じたが、この本を持参していないので、その真相を確認することが出来ない。
この中に書かれている走り書きの短い言葉が、あまりにも哲学的なのに驚く。
一部を紹介しよう。「子供を可愛いいものとみる錯覚」、「美の計算を見誤ることから理解し、理解を拒否する」 やや形而上学的とも取れる言葉からは、その本質とは何かを常に問いかける草森さんの前向きな意欲が感じられる。P24の長い文章は、編集者に見せるというよりも自分の書くことへの欲望を再確認しているように見える。アフォリズムの匂いを醸し出す言葉の羅列は、ルッソーの画と人生を読み込むために、数多くの重要な主題を巧みに摘み出そうとしているかのようだ。例えば、“造形的な条件・心理的な条件・思覚的それと理知的なそれとを集中させるところからはじめて構図が生まれる。”この基礎には、“筆触の自動性によって手はマティエール(素材)にあらわされるのだ。”といった考えがあり、形態を超えたマティエール(素材)の重要性を説いているようだ。
私は美術評論家ではないので、草森さんの真意をうまく言葉で伝えることは出来ないが、このページの文面を見ても草森さんが美術に特化した文筆家になっていたら、宮川淳さんと並び称されるような希代の評論家になっていたように思えてならない。(一つの分野に捕らわれず、様々な世界で起きる興味ある出来事を、いつも鋭く感知しようとしていた草森さんに美術評論家は似合わないが)
やや硬い話になってしまった。先を急ごう。
次は『荷風永代橋』で、初出掲載「ユリイカ」の連載記事を推敲P33して、単行本化のために校正し直したもの。ここでも、daily sumusは以下のようなクレームを付ける。
「それにしても原稿はともかく校正紙はひどいものだ。ここまで直すということは原稿がまったく推敲されていないということではないのか。それを原稿として提出するのがまず疑問である。ここまで直すと元より良くなっているのかどうかすら自分でも判断できないように思うのだが……。」
私はこれには強く反論したい。この膨大な追加修正は、草森さんの荷風への深い思い入れがあったからこそ生まれた行為なのだと言いたい。P40の「広告批評」に掲載された『中国文化大革命の大宣伝』の追加修正の少なさと比較したら一目瞭然だ。『中国文化大革命の大宣伝』に草森さんの思い入れがなかったというのではない。荷風の生き様に、自分の生き方と酷似したものを見出したに違いないのだ。思い入れという言葉では括れない、同士のような感情を荷風に抱いていたのではないか。
一文を引用させていただく。「〔反故紙もつもりつもりて四〜五百枚〕の草稿をさんざん苦労し、数日をかけて(或るいはたのしみつつ)永代橋の上から棄てる話を書いた。反故であるのに、四〜五百枚をためてしまったのは、無精というより、それらに未練があったからだろう。」草森さんはこの文章を書きながら、四万近いと言われた自分の蔵書の数々に思いを重ねていたのではないだろうか。愛着があるゆえに棄てることの出来ない紙(草稿・書籍)への深い思念は、時を越えて二人の物書きへと着実に受け継がれていったのだ。物への偏愛が判らない人には、単なる奇人の行為としか感じ取ることは出来ないことだろう。ただ、荷風の思いを草森さんは共鳴する悲しみの中で、この行為を“水葬”として捉える。荷風はそんな水葬に未練を残しながら、草稿を棄てた永代橋の橋上から眼下を覗いた際、そこに乞食(河上の人家[今は見かけない水上生活者のこと])の虫干しをしている風景をふと目にする。そこで荷風曰く、[相貌思ひの外温和にして賤しからず、銀座のカツフエを徘徊する文士新聞記者の輩に比較すれば遥かに上品なる顔なり」と呟く。
この表面的ではなく内なる心の有様として捉える荷風の暖かな眼差しは、それを意図して掲載されたわけではないのだろうが、P27の左下の坂道の下の出来た隙間に布団被って蹲る浮浪者(ここではあえて乞食とは言わない)の写真と奇妙に連動しているように感じられた。浮浪者の脇には、せわしなく自転車をこぐ買い物帰りの主婦の姿が写し出されている。草森さんはこの写真を撮りながら、毎日時間に追われる人々の空しさと世間からはみ出た者のささやかな至福を感じ取ったのではないのだろうか。惜しむらくは、浮浪者達の顔が布団に埋もれていて写し出されていなかったことだが、これも空想出来る余地を残した結果だと考えれば不満は生じない。
さて、最後にページを逆戻りして恐縮だが、P8〜P11に渡る初出の『美術手帖』を校正して『マンガ・エロチシズム考』に掲載された「レイモン・ペイネの“愛”」について少し触れてみたい。草森さんの初期の批評だが、校正は極めて少なく、追加修正された部分は補正しなくても十分に内容は伝わる。この時代の校正は、草森さんの言い回しがまだストレートではない(やや回りくどい)ので、読者に若干媚びて判りやすさを追求した為の校正であるように見える。(但し、言動はあくまで過激だ)この時代の草森さんは自分では媚びるつもりはなくても、掲載記事が出来るだけ多くの読者の目に留まるような状況を作り出したかったのではないだろうか。ただ、この意図が成功したのかどうかは私には判らないが、途切れずに本を出し続けられた(奇跡的なくらいに中断がない)ところをみると、ある程度読者を増やすということに繋がっていったのかも知れない。肝心なこの文章に関してだが、ペイネの暖かい絵柄から、多くの評論家がなかなか汲み取ることが出来なかった、危険なエロチシズムを撒き散らす漫画家であることを、数点の画だけ取り上げて証明していく手際の良さは常人の域を遥かに凌駕している。この漫画評に関しては、もう少し詳しく読み解きたかったが長くなるのでこの辺で止めることにしたい。
冒頭でも触れたが、本来なら特集本がユイリカ・現代思想美術手帖などから発行されていてもおかしくはないのだが、草森さんが扱っていた分野があまりにも広範囲で、尚且ついつも周りの人達が震え上がるような過激な意見の持ち主だったことが起因してか、意外にもどこでも特集は組まれなかったようだ。だが、熱狂的な草森ファンの悲痛な叫びに呼応したような特集本が別なところから出ていた。仕事仲間達による回想集、『草森紳一が、いた。』(草森紳一回想集をつくる会刊)がそれだ。まだ途中までしか読んでいないが、草森さんの偉才ぶり、奇人ぶりを覗くには必読の一冊だと思う。
本書を紹介していただいたブログ daily sumusには、いろいろと文句を付けたが、“草森さんワールド”への魅惑の扉を開くきっかけを作ってくれたことに少しも変わりはない。感謝します。
最近、急激な心境の変化に自分でも戸惑っている。草森さんの著作『あやかり富士』(翔泳社)の巻末に、坪内祐三さんが寄せた跋文「私はかつて草森紳一の全冊揃えをこころざしたことがある」という文章がある。正に、この題名と同様の状況に陥りそうなのである。草森本への読欲を抑えるのに本当に困っている。絶版本も異常な高値が付いていて、金欠状態の私を更に窮地へと追い込んでいく。それもこれも、草森さんの本が面白過ぎるのが悪いのだ。責任を取ってください!(笑)

≪付記1≫
書評でも触れた、HP 白玉楼中の人 草森紳一記念館に掲載されている単行本未収録原稿の中に、「本の精霊」(『室内』(工作社)1984年4月号)という文章が載っていた。その中で草森さんは、引っ越した際に、テレビ・冷蔵庫・机・椅子・たんす・ベッドにいたるまで、ことごとく棄てたと述べている。続けて「私は、テレビ気狂いだったので、これだけはすこし不安だったが、なければないで、なんとかなるもので、見たいとも思わなくなっている。」と付け加える。
実をいうと私も、十年近く前に五年間ほどテレビのない生活をしたことがある。その時期、周りの友達からは、変人扱いされていたのだが、草森さんじゃないけど、ないならないで何とかなるものだと、確かに思っていた記憶がある。(その場合、最低新聞は無いと困るが)人間はどんな状況にも適応出来る生き物なのだ。
また、この記事の中で、草森さんの格言ともいうべき言葉を残している。本棚に置かれた書籍を見ながら、その傍に佇む人達が抱く不思議と落着く感じ(安らぎ)を分析した一言である。
「本にはね、人間の霊魂が、ぎっしりつまっているんだよ。なにも書いた人の霊だけではない。一冊の本ができあがるまでには、無数の人間の精気が吸いとられているのだからね。それが本箱にぎっしりつまっていれば、一種のエネルギー箱さ。こいつが心を鎮める作用をきっとしているんだね」
実に良い言葉だ。流石、本の仙人ともいえるような境地にまで到った人の口から毀れる言葉には、私達の心に染み入る深い詩情が漂っている。
≪付記2≫
『アトムと寅さん』(草森紳一四方田犬彦共著/河出書房新社)を読了。
草森・四方田両氏の対談集である。読後感があまり芳しくないので、付記で扱わせてもらうことにした。寅さんにあまり関心がないので、「アトムと人類」の章に関してのみ感想を書かせていただく。
対談に臨むにあたり、直前に対象となる作家の作品(ここで言えば代表的な手塚作品)に目を通してから望むのが、相手に対しての最低限の礼儀なのではないのだろうか。横溝正史読本(小林信彦編)の横溝さんへのインタビューをここで引き合いに出すのは少しおかしい気もするが、小林信彦さんは横溝さんの代表作(それだけでも膨大な量だ)を読み返してから対談に臨んでいる。この前向きで完璧な準備があったからこそ、中身の濃い魅惑的な対談が生まれたのだといえる。そういう意味で、P36の四方田さんの発言「僕は現在『鉄腕アトム』から遠ざかってしまって、なかなか読み返そうという気持ちにならなかった」には、どうしても文句を付けざるを得ない。この調子なので、他の作品の読み返しもどれだけ行なっているのか疑問の余地が残る。それに比べて草森さんは、手塚漫画ではあまり評価していない『W3(ワンダースリー)』をこの対談の直前にきちんと読み返しているのだ。(P52)
この姿勢の違いが、対談内容に大きく影響を及ぼすのは当然だ。P36の草森さんが手塚漫画について「人間が作った機械のロボットは、結局《人間》でしかなかったと思っていたんではないだろうか」という言い回しから、「日本人(東洋人)がネットの導入の危うさを無意識のうちに確信している」という予言めいた言葉で閉じるまでの手捌きは実に鮮やかだ。それに対して、四方田さんが『アトム大使』に残酷さを感じず、白土三平劇画の視覚的な惨たらしさを、同列なものとして扱うあたりは、いかにも安易な気がする。他にも、コマ割りを映画のコンテとして認識する飛躍のない発想の四方田さんに対し、草森さんは建築の間取り(空間)という新鮮味溢れた捉え方をする。最後には、『W3』を取り上げて、設計図の一部としてのコマの存在をきちんと解読してみせる。草森さんの近作に建築美術の評論があるので、それを読み返した漫画と繋ぎ合わせたのではないのかとは思うが、その解釈があまりにも説得力に満ちているので驚く。手塚さんの才能の枯渇に関しては、両者の捉え方は明らかに食い違っているのに、珍しく草森さんが四方田さんに遠慮して意識的に論争を避けた感じがあり、いささか拍子抜けした。(草森さんも年を取って丸くなったということか)
テンションの低い対談状況やあとがきを草森さんが書いていない(草森本は、長文のあとがきが特徴だ)ところを目にすると、草森さんはこの著作にはあまり深い思い入れがなかったのではないかといった感情が湧き起こる。四方田さんがこの対談に関して、今まで培って来た自分の知識を呼び起こせば何ら支障はないという奢りがあったのではないだろうか。対談に張り詰めた緊張感を期待するのは見当違いなようにも思うが、予定調和的な対談は、読んでいる側としては決して心地良いものではない。
≪付記3≫
草森紳一著『女のセリフ「捕物帖」』(主婦と生活社)を読了。
常に並行読書法(『裁判官の書斎 全五冊』の書評≪付記2≫参照)を実践しているのだが、最近その一冊に必ず草森さんの本が混じるようになった。こんなことは、埴谷雄高さんの未来社の評論シリーズ『××と××』を読んで以来の現象だ。何だか少しずつ草森魔術に魅せられていくようで怖い気もするが、草森さんと私の波長(多分に偏屈なところ)が妙に共鳴するのだから仕方がない。
本来、この手の軽い読み物は草森さんの真骨頂ではないので取り上げないつもりでいたのだが、最近読んだ小説(古典的名作の数々)がことごとく不発だったので、付記として触れることにした。
女性がよく使う言葉を十二章の中で紹介していくのだが、ほとんどは否定的な対象として取り上げられている。女の心理の奥深さに潜む陰険さや卑猥さとでもいった部分が数多く語られ、男の私には頷けるところが大なのだが、草森さんの否定的な意見には女性側の言い分もそれぞれにあると思うので、あえてここではその件には口を差し挟まないことにする。(単に逃げているだけだが)
言葉の肯定、否定ではなく、女の怖さを表す第九章「なんとなく」が興味を惹く。男に欠けている女性の特殊能力、第六感を中心に扱ったものだが、特に面白かったのは、ある出版社の女性編集者と喫茶店の窓越しに遭遇した際に、妄想のように浮かんだ女の嗅覚に関する特異な思考だ。
その時、草森さんは遭遇した女性が勤めている出版社への締切りが過ぎて逃げ回っていた。普通なら担当ではなくとも同僚の編集者を見かけたとしたら、多少の後ろめたさを感じて自然に顔を伏せるところを、あえて目線を外さずに平然と「アレッ、なんだ、伊地知さんじゃないか」と独り言を呟く。草森さんの神経の図太さには唖然とするが、女性編集者に見つからなかった(女の第六感が空を切った)理由を、それが担当の編集者でなかったからだと安易に捉えないあたりがやはり非凡だ。
茶店のガラスこそが、彼女の四方八方に開かれた「なんとなく」の念力をはねかえしてくれたと説くのだ。これはやや強引な講釈なのではないかと思っていると、続けて「ガラスは素通しだが、大きな壁でもあって、「なんとなく」のカンは、見えないものを見る力だから、見えてしまうものには、かえって弱いはずである。」と畳み掛ける。草森さんは自分に都合のよい解義だと括っているが、もはや私にはそう感じられない。女性は案外直接目にしたものに対しては、独自のカンが働かないように思えるからだ。
そういった意味で、浮気相手の女性を変に隠さず、自分の奥さんに平気で紹介することも、浮気発覚を未然に防ぐ有効な手段なのかもしれないが、そんな図々しい男なんて、世の中にそうそういやしない。
果たして、男は女の「なんとなく」の呪縛から逃れられるのか。男性が論理的な意識動物だとすれば、女性は観念作用を駆使する無意識動物なので、「なんとなく」の感覚を女から外させることは、永遠に出来ないと草森さんは結論付ける。女性は男性にとって、いつも空恐ろしい存在なのだ。
≪付記4≫
週刊朝日の8/12号をたまたま見ていたら、草森さんの新作『記憶のちぎれ雲 我が半自伝』(本の雑誌社)の短い書評が、掲載されていた。筆者は中川六平なる人物。元編集者の方らしいが、端的に草森さんの本質を見抜いているように感じられ、素直に脱帽した。
まだ本書を読んでいない私が、この評を目にして、中身を全て覗いたかのような気分になったのだから、実に不思議である。特に、“「真相の探求より、曖昧さと戯れの方が重要」という記憶をめぐる本でもある”と書かれた、最後の締め括りが白眉だ。この言葉は、全ての草森作品を紐解く重要な鍵だといえる。
現在、草森さんの著作『見立て狂い』を少しずつ読んでいるのだが、“曖昧さと戯れ”は、案の定この本にも脈脈と流れていて、あえて横道に外れ、一時的に対象から目を逸らす(濁す)ことが、いかに大切かを教えてくれる。曖昧は煮え切らないとも同義語で、本来賞賛される態度ではないが、この浮遊の精神が、外国にはない日本独自の侘び寂びの感情を生んだ源であるような気がする。
≪付記5≫
HP 白玉楼中の人 草森紳一記念館に掲載されている著作目録の目次欄を何気なく見ていたところ、気になる箇所に出くわした。1978年に新人物往来社から出版された『歳三の写真』と2004年に同社から増補版として出された本文の違いについてだ。
増補版に、「斜」の視線 新撰組副長土方歳三の「書体」と跋文 エスプリと諧謔にみちた土方歳三像〈縄田一男さん執筆)という文が新に加わったことは、さして不思議ではないのだが、旧版に掲載されていた”「歳三の写真」ノート 自跋をかねて”というあとがきが、増補版から抜け落ちていたのだ。増補版は未読だが持参していたので、旧版の購入は考えていなかったのだが、胸騒ぎを覚えたので、古書店で安価なものを見つけて、その文章にさっそく目を通してみた。期待通りというべきか、この長いあとがきが実にいいのである。
歳三の周りに漂う“余裕”という隠れた言葉の重要性を、様々な角度から検証していく。
長時間同じ姿勢を強いられるこの時代の写真撮影が、通常なら拷問に近い苦痛を覚えさせるはずなのに、歳三の写真にはそれが全く匂ってこないという。「何か他のことを考えているようにも見えるし、じっと涼しげに耐えつづけているようにも見える。」という自然体(余裕)すら感じ取っているのだ。
歳三の『豊玉発句集』という句集から、あえて出来の悪い句を取り上げ、そこから「ほかほかしたおかしみがあるのは、自らのへたをしっかりと拝み捕りしているからであり、そこには余裕さえ生まれ、情感もにじみでる。」と解釈し、その後でこの句を「この余裕こそは、歳三の死の濃い意識から生まれてくる気がするのだ。」と締め括る。春を題材にした風景は、庶民にはありきたりにしか感じられないのかもしれないが、死の意識を抱えたものが目にすると、それは当たり前でない豊饒な新鮮さを放つということなのだろう。不出来なそうですかの歌から、「遅く過ぎる時間をもてあましながらも、そのもてあましの中に居座って、なにかそれを珍しげにしている余裕がある。・・・以下略 その退屈を味わっている。これが私のいう死の意識である。」といったように、歳三の退屈さをじっくり吟味し、その余裕の中で死を自覚する段階にまで昇華させる手腕は、いつもながら感心させられる。
余裕=退屈=死の意識の果てにあるものが、“悟り”ということになるのだろうか。それは本書を読んで見ないと判らない。
草森さんは、締めで「土方歳三の書についても書きたかったが、枚数が尽きた。自書『豊玉発句集』の「月」という字の書きかたが、なぜか気にかかっている。」という心残りを感じさせる文章を記しているのだが、この文がやがて増補版の「斜」の視線 新撰組副長土方歳三の「書体」の章に繋がっていく。草森さんは意識していないのかもしれないが、“今こんなことが気になっているんだよね”と関係者に前もって振っておく狡賢さを常に携えていて、この行為が何故か次の仕事へと結びついていった。もうこんな類稀な人は出てこないだろう。
最後に、エスプリと諧謔にみちた土方歳三像〈縄田一男)の中で、「歳三の写真」ノートの一文を引いていることを書き留めておきたい。本人のあとがきを、他の人が巻末で使用するなんて今までみたことがない。草森さんならではの前代未聞の出来事といえる。
≪付記6≫
草森紳一著『随筆 本が崩れる』(文春新書)を読了。
一気に読んだが、やはり草森さんの本だけあってなかなか読ませる。
表題となった、家の中で山積みになった本が勢いよく崩れる様は、さして驚かなかった。実をいうと、私もこんな山をいくつか持っていて、地震のたびに崩れる心配をしているからだ。(草森さんに比べたらまだまだ甘いが)今回は、本筋ともいうべき聳え立つ本の山とは少し掛け離れた部分で、感想を記してみたい。
「本が崩れる」の章に、秋田でのシンポジュームの後で、赤神神社五社堂の「九九九段」へ挑戦するか否かを散々悩むくだりがある。腰・肝臓・胸に病を抱えている草森さんにとっては、この途方もなく膨大な数の階段を登ることは、自分を死へと誘い兼ねない暴挙で、決断が鈍るのは当然のことといっていい。
ただ、人生の奇遇というべきか、喫茶店で働く女の子が思ってもみなかった心強い後押しをしてくれる。後押しとなった、彼女の言葉が実に面白い。草森さんが、私でも九九九段は大丈夫かなと聞くと、「ゆっくりとお登りになったら。きっと大丈夫。店に入ってくる時、お宅さんの足どり、けっこうチャカチャカしていたから、とても元気そう」という。このチャカチャカという形容が、何とも的を射ているように感じられる。それは何故か。長身で細身の草森さんは、せわしなくて短気らしかったので、チャカチャカという表現が不思議とマッチするからだ。
登る決心を固めた草森さんに、最後の難題が待っていた。背負っているリュックを、女の子の実家にある竹箒・鎌・材木の切れ端等があるむしろをかけた山の中に隠しておくかどうかということである。リュックの中には、貴重な漢詩文集(当然古書店でも簡単に手に入らないような代物だ)が入っている。他人には二速三文にしか見えないものでも、もし盗まれたらと思うと気が気でならないのだ。本好きならではの心配だが、後年本を資料として使っていた草森さんにとっては、命よりも大切なものだったともいえる。最終的には覚悟を決めて預けることにするのだが、その後の困難な道程をみると、この選択は大正解だった。
九九九段の中盤あたりに差し掛かった時、突然鶯の大群の鳴き声(ホーホケキョ)が響き渡るのは、実に不可思議な光景だ。喫茶店の女の子との出会いに続く奇遇が、ここでも生まれる。ホーホケキョを煩い音として捉えるのではなく、法華経の”法”かと考えたり、左右の林に群生する一団の声のキャッチボール(恋の囁き?)として聞いてみたり、ついには自分への応援歌(「もうすこしだ」「もうすこしよ」)として、都合よく解釈していくあたりが圧巻だ。いつも感じることなのだが、草森さんのあらぬ妄想は、雑文というよりも幻想小説に近い雰囲気を醸し出す。
延々とこの調子で書いていくと、付記でなくなる恐れがあるので、そろそろ切り上げるが、「素手もグローブ」の章で、つばめの大群が飛び交う最中に行なわれる激しいノックシーンは、草森少年がつばめへの意識をあえて揉み消しながら、極限状態でボールの行方に精神を集中させている様子が、手に取るように判るだけに、感動的ですらあった。(下手な小説よりも、感情が高ぶる)
一見手軽な読み物に見せかけて、その奥に覗かれるものは深遠極まりない。草森さんの筆から繰り出される文章は、読む側が思わず見落とし兼ねない些細な箇所(数行)を糸口にして、言葉が本来持っている豊饒さを改めて実感させてくれる。草森本は、読み易いからといって決して侮れない。
この本を読んだ後、内田吐夢監督の五部作『宮本武蔵』を無性に見たくなった。草森さんの「九九九段」へ挑む姿勢に、孤高の剣豪精神を垣間見たからか。
≪付記7≫
気になっていた『en-taxi 第09号』の特集記事 草森紳一 雑文宇宙の発見者をやっと読んだ。
草森さんの絶筆となった「ベーコンの永代橋」の第一回目にも興味を惹かれたが、本の雑誌目黒考二さんがインタビューを受けていた際に、印象的な本として上げていた草森紳一著『悪食病誌 底のない舟』に関する短い文章、「三十三年前の「底のない舟」」にすぐ目がいった。
草森さんの独特の魅力的な長いあとがきを、大量に借用(重要な部分を全て抜き出しているところは、やはり感受性の鋭い人だ)して、当時の自分にとっての雑文とは一体何だったのかを再確認していく斬新な切り込み手法は、いつもながら切れ味が良い。ただ、魯迅にとっての雑文形式を説いていたものを、自分に引き寄せて解釈しているあたりは、当然意識的なものだろう。本文の素晴らしさを、全文引用出来ないのが辛いが、ここでは目黒さんが『底のない舟』のあとがきから引いていない箇所にあえて触れ、そこから拾い上げた事柄を他分野へ波及させてみたいと思う。
草森さんは言う。「雑文は文章の一體であるけれど、この一體への覚悟というものができてからは、作品主義というものから絶縁することができたし、したがって、自らのうちでは、良い悪いの評価から脱却することもできた。他人の目から悪いものも、自分のうちとして呑みこめるようになった。ここに集められた雑文群は、その所産であり、私の生きた証跡としての汗垢の如きものであり、それ以上のなにものでもない。」 
“作品主義というものから絶縁する”を自由という言葉と汲み取れば、諸星大二郎著『無面目・太公望伝』(潮漫画文庫)で、『太公望伝』の主人公が最後に到る境地と不思議に重なる。
主人公は、真っ直ぐの針(鉤状ではない)で、餌も付いていない竿を川に垂らしていたところ、目の前に現れた仙人のような人物(草森さんの風貌に似ている)と印象的な会話を交わす。白髪の老人は忠告する。「気をぬいてはいかん。たとえ鉤のない針でもエサはなくとも、全身全霊をこめて集中すれば魚はおろか、竜でも釣ることができるのじゃ!」「そうじゃ、竿の先、糸の先に全身の気を集めるのじゃ」「技術も力もいりはせぬ。ただ魚を釣るというただそれだけのことを・・・・・純粋に・・・・・強く・・・・・念をこらすのじゃ」主人公は、やがて竜いや一匹の大きな鯉を釣るのである。
その後、主人公の前に、謎の老人はなかなか現れないが、第三章で主人公が邪念と恐れ、疑いなど全てを超越した世界に立った時、再び老人と合間見えるのである。男の正体と結末は、ここではあえて明かさないが、人間をあらゆる束縛から解放する自由(奴隷からの・・・殷からの・・・生活からの・・・生きることからの・・・苦痛や悩みからの・・・死の恐怖からの・・・)の大切さを悟った時、主人公に光明(自由な精神の獲得)が見えてくるのだとのみ言っておきたい。
この気を働かせた“精神の自由”が、草森さんの雑文を書く上での決意“作品主義というものから絶縁する”に繋がってはこないか。文章のジャンルに捕らわれずにそれを飛び越え、遥か彼方の異次元を遊泳する姿(小説と評論を自由自在に往復する)に、雑文の実態が浮かび上がってくるような気がしてならない。小説の形を借りて、過去(数々の伝記)や現代(『鳩を喰う少女』)に軽やかに踏み超えていく大胆さは、自由を掴んだ自負があるからこそ出来るものなのだ。
太公望伝』の中で、白髪の老人が語った「そうじゃ、竿の先、糸の先に全身の気を集めるのじゃ」という一言を耳にして、再見した映画『宮本武蔵 二刀流開眼』で、柳生石舟斎(宗厳)が芍薬の花を生けている場面を思い浮かべた。石舟斎は、傍にいるお通さんに語りかける。
「花を生けるにもわしは剣道で生けるのじゃ。花を生けるにも気で生ける。指の先で曲げたり、花の首を絞めたりはせんのじゃ。野に咲く姿を持ってきて、こう気を持って投げ入れる。だからこの通り花は死んではいない。」
この会話の後、石舟斎は刀の脇差を使って、芍薬の花の枝を切り落とす。この切り口を見せられた吉岡伝七郎は何も感じ取ることは出来ないが、武蔵はそこに只ならぬものが漂っているのを目ざとく察知する。石舟斎の四高弟が、枝の切り口に関して武蔵に問いただす。
「どうして貴君は、非凡な切り手ということがわかりましたか」武蔵は返す。「そう感じたまでです」更に高弟は問う。「その感じとはどういうものか、お話くださらんか」武蔵はしぶしぶ返答する。「感覚は感覚、どう言おうとそれ以外に説きようはござらん」「強いて目を見たくおぼし召すなら、太刀を取ってお試しくださるしかほかにない」
この緊張感溢れる禅問答ともとれる掛け合いと、石舟斎の“花を生けるにも気で生ける”という言葉が妙に共鳴する。気を熟知した『太公望伝』の主人公に「人間をあらゆる束縛から解放する自由とは、どうすれば得られるものなのですか」と問うてもおそらく、武蔵と同じように口では言い表せぬ感覚とでも答えるのではないだろうか。それほどまでに、自由へ導く“気”という一字には、言葉で説明出来ない奥深い意識の流れがある。
気の集中から精神の自由へ『悪食病誌 底のない舟』『太公望伝』『宮本武蔵 二刀流開眼』には、同じ匂いを感じずにはいられない。
≪付記8≫
草森紳一著『見立て狂い』(フィルムアート社)を読了。
最後の頁まで辿り着くのに、正味半年も掛かってしまった。生来の遅読癖もさることながら、途中で何度も中断して長い空白の時間を作ったのが主な要因といえる。何故頻繁な停止を余儀なくされたのか。これは作品の質に問題があるというのではなく、取り上げられた雑文が様々な雑誌から引っ張ってきた寄り集めの集合体であることに大きく起因しているようだ。
雑文の結集から生まれる独特の闇鍋感を目指すことは決して間違ってはおらず、むしろその活力を評価したいくらいなのだが、文体から感じられるぎこちないリズムは、所々で突然寸断されたような居心地の悪さを生む。このような随筆集は、掲載された雑誌からテーマ別に揃えればきちんと纏まるというものではなく、例えば”江戸のデザイン”で括れば読んでいる最中に多大なカタルシスを得られるかというとそうではないのだ。
草森さんは、短文では古典落語にも似た軽妙洒脱な語り口を、長文では主題を深く掘り下げる論文調の硬質な表現を披露し、この二種類を絶妙に使い分けて誰も真似出来ない異空間(草森紳一の世界)を作り上げていくのだが、本書ではこれらがはっきりと区分されるのではなく、途中で無造作に差し挟まれるのでその都度うまく頭を切り替えられず、一心不乱に読み耽ることが出来ない。各章の文末に漂う僅かな余韻(残り香)に浸りながら、自然に次の頁を手繰る読書本来の悦楽は消滅している。おそらく編集者の意図は、硬質な文の連続で疲れた読者の心を癒す意味であえて軽味のあるものを挿入させたのだろうが、この親切心が逆に仇になっているとはいえないか。読者の中には、この癒しの瞬間を快く思う人もいるかもしれないが、私にはそのつど本を閉じるマイナスの作用にしか働かなかった。
話は飛ぶが、≪付記7≫でも取り上げた『en-taxi 第09号』の草森紳一 雑文宇宙の発見者の中で、草森紳一「題名お気に入り」の自著30という記事があり(P122)、題名とともに草森さん自身が本にまつわるコメントを記しているのが興味深い。担当した装幀家や編集者にも触れており、題名お気に入りというよりも”愛しい本”といった趣がある。『見立て狂い』はこのリストから漏れている。「題名お気に入り」だから外れていると言われればそれまでだが、同雑誌に掲載された坪内祐三さんから草森さんに投げ掛けられた「草森紳一への33の質問」の一つNo.31の”愛着のある自著を三冊あげてください”にも上げられていない。HP「その先は永代橋」の中で言及された草森さんがあまり気にいっていなかった共著『アトムと寅さん』が載っていないのは当然としても(実際はまだ刊行されていなかったのだが)、どうして本書がここまで蔑ろにされたのか。
中垣信夫・早瀬芳文両名の洒落た装幀が素晴らしい(特に、カバーの内側左右に配された【隠れた部分】、山下耕作監督『関の彌太ッぺ』の錦之助の拡大写真と皮ジャンを着込んでやや背を丸めた草森さんの写真が実に秀逸)だけに謎は深まるが、冒頭で掲げた書中のリズムの無さに草森さんはその後気付いたとは考えられないだろうか。書き手の達人でもあるとともに、稀代の読み手としても名を馳せた草森さんが自著を刊行後読み返さなかったはずはなく、このギクシャクとした文章の流れに自身も馴染めなかったのではないか。本書の“湯村輝彦の「いき」を分析してみる”の表題(『ギクシャクとシャアシャア』)ではないが、このギクシャクをシャアシャアと居直ってみせることは出来なかったように思える。
本題の書評ではないのでこれ以上の詮索はせず、気にかかった章に触れて終わりとしたい。
書名にもなった「見立て狂い」に草森さんの特異な思考が随所に見受けられる。巻頭で「しゃれ」や「粋」や「誠の通」は目指す境地ではあるが、到達よりも、到達への「志向」こそが、「江戸っ子」なるものをいじらしく、賑やかに活気づけている(P116)と前向きに捉えながらも、江戸の黄表紙の絵と文章の有様を見て、見立てには連想の病、イメージの病の様相があるので、すみずみまで見立てを徹底していくところがあるが、時として楽しく、時に煩雑になる(P121)と僅かな疑問を投げ掛け、江戸の「うがつ」や「粋」に見立て精神のノイローゼ的な病跡と見ながら、「粋」の逃亡者的な攻撃性(当局の目をくらます策略が潜んでいる)を見い出し(P123)、最後に通常見立ては、対立の関係を前提とするが、独立したときには、前提や対立の関係をはるかに超えた輝きをもち、見立てのノイローゼ空間を脱出している(P134)と見事に結んでみせる。起承転結を踏まえるいつもながらの練達した筆捌きが冴え渡っているが、一見江戸文化の見立て構造の中に埋没しているかのように見せかけながらもあえてそこを踏み止まり、僅かに距離を置いて外側から冷静に目を凝らす、草森さんの望遠レンズ的な視点をふんだんに垣間見ることが出来る尖鋭な一文といえる。
まだ、「勝利の祈願」から「太平の剣」までの四章で扱われた剣とデザインや「安心した肉体」での衣服を纏った女性(お葉)を撮った夢二の何気ない写真に潜む“猥雑さ”に関するくだりや「幻想の食事」における、パルコのなにがなんだがわからぬ「ごった煮」と「曖昧」の特性やパルコ文化の最大の敵でもあり味方でもある、大衆が持ち続ける「飽きる」生理(東海林さだおさんと同じ視点だ)に関する鋭利な指摘など語りたい部分は山ほどあるが、このまま書き続けると切りがないのでこの辺で止めておこう。
最後にお遊びとして、本書の章を自分の気に入ったように並べ替え、新に削除・校正を試みた。プロの編集者から見れば、何を素人ごときが・・・と思われるかもしれないが、専門家にはない純朴な感性を持ちえているからこそ気付く点もあるのだ。
『見立て狂い』〜空想編
1.「合い」の妙術
2.見立て狂い
3.菊狂い
4.煙管の時間
5.勝利の祈願
6.剣法と円
7.つながれざる牛
8.太平の剣
9.黄昏れる色
10.風景は凝固しない
11.ガラス的感動
12.ラムネの壜
13.五寸の釘
14.無私の陳列
15.「はい、おまけね」
16.亭主の好きな赤烏帽子
17.白い書庫
18.「思い出」の空気
19.安心した肉体
20.涙のバタクササ
21.あげ底のノスタルジー
22.「以下、以上」の方法
23.幻想の食事
24.「よろしく、哀愁」
25.生き神様の住む国のグラフィズム
26.眼福と機微
27.祭礼気分
28.ほこり沈め
29.浄瑠璃の心地
30.棄て子なら啼け時鳥
31.目尻の朱紅
32.日本の知恵の偽怪
33.玩具の幸福
34.救済としてのナンセンス
35.ギクシャクとシャアシャア
36.書評『アール・ポップの時代』
*「江戸の菓子」「江戸讃岐彫」「江戸の看板」三章とノスタルジー・デザインの十二点は削除。
いささか自分勝手で強引な配列のようにも感じられるが、この流れで読み進めたほうがより大きなイマジネーションを彷彿させるように思う。