『成吉思汗の秘密 新装版』(高木彬光著) 光文社文庫

海外ミステリー、ジョセフィン・テイ著『時の娘』のベッド・ディテクティヴ(病院で入院中している探偵役の患者が過去の資料を元に推理を展開する)という形式に、高木彬光さんが感化されて書き下ろした斬新で意欲的な推理小説である。出版された当時は随分と話題を呼び、様々方面からの反論を生み、多くの論争の火種を作ったらしい。
初出掲載された雑誌『宝石』の当時の編集長だった江戸川乱歩さんは、この小説を目にして「誰かがやりそうなものと期待していたが、とうとう高木さんがジョセフィン・テイの『時の娘』の手法を取り上げた。・・・(以下略)高木さんのこの一篇も、日本史学界に一つの刺戟を与えるのではないかと思う。」と新し物好きの一面を垣間見せながら、新手法への取り組みを絶賛していることが窺われる。それほど、ベッド・ディテクティヴというスタイルは、魅力に満ち溢れた世界でありながら、そこに踏み入り物語の中にうまく取り込むことは、困難と危険を伴う小説作法だったように思われる。
歴史好きの人なら、この僅かな前振りだけで是非一度読んでみたいと直ぐに飛び付くところだろう。だが、学生時代から歴史(日本史・世界史)に全く興味が持てず、過去の出来事を年代順に記憶していく行為の必然性にいつも疑問を抱いていた(単に勉強嫌いなだけだが)私には、この小説を読み解く自信は正直なかった。鎌倉時代はもちろんのこと、蒙古史、中国史元朝・明朝・清朝)の文献と古地図を手元に置いて、疑問が生じたら丹念に文献を紐解くだけの粘り強い探究心を抱いてこそ、初めてこの小説と対等に対峙することが出来ると強く思い込んでいた。本書を読み進めながら、予備知識の浅さを何度も嘆き、書評に手を付けることは半ば諦めていた。
ただ、読後感は意外なものだった。最低限の資料(中国史が掲載されている漢和中辞典など)や学生時代の古い地図を傍に置いて、歴史の痕跡をそのつど確認しながら読むだけで、十二分に楽しめたのだ。これを単純に面白いという一言で片付けることは出来ない。全編に物悲しい歴史の余韻が漂っており、過去の暗部を覗き見たことによって、人の心の裏側に潜む儚い思慕の感情を、改めて実感することが出来た。今になって、歴史への飽くなき興味が湧き起こって来ようとは思ってもみなかった。前置きが必要以上に長くなったので、この辺で本文に触れてみたい。
ワトスン役の松下研三の何気ない一言によって、物語は動き出す。「ところが、源義経は、衣川で殺されたのではなくて、そこから逃げ出して、蒙古へ渡り、成吉思汗になったのだという伝説があるじゃありませんか。もちろん、僕も、その真相は今まで調べたこともないけれど、ひとつ、こういう一人、二役のトリックが成立するかどうか、暇つぶしにやってみたらどうでしょう?」この時点で研三は、この言葉が床に伏せている神津恭介に後々重く圧し掛かり、殺人事件以上の思考回路の稼動を余儀なくさせることになるとは当然考えてはいない。今回は恭介・研三の馴染みのコンビに、新に東大文学部歴史学の井村助教授の美人助手大麻鎮子(魅力的な存在で、この後の高木さんの小説で再登場するのも頷ける)を配して、この三人で閉ざされた歴史の謎に足を踏み込んでいく。
資料となるのは、当然義経に纏わる古い文献の数々だ。ドーソンの『蒙古史』(岩波文庫に訳著あり)『鎌倉時代史』『義経記』『義経腰越状』『北門古史』『元朝秘史』を引き合いに出して、義経=成吉思汗の可能性を探っていくのだが、一人二役に有利な諸説のみを拾い上げて、そのまま押し切ってしまうのであれば、意見が偏って盛り上がりに欠け、単調で期待外れな結果を招くだろうと思っていた。恭介と研三が、互いにこの説のおかしな部分に多少触れることもあるのだが、他愛の無い内輪揉めにしか見えない。ただ、鎮子から反論が出たのにはいささか驚いた。それに対して恭介は、「自分の説には不利な反対論であってもそれを検討し、場合によっては、逆にそれを自分の説の中にとりいれるだけの寛大さがなかったら、学問の進歩はありえないでしょう。」と前向きな姿勢を見せる。
この偏らずに均等な視点に立って議論を交わす行為は、高木さんがこの小説で自分へ課した決め事の一つなのだと思う。鎮子が、義経公園に残っている碑に刻まれた笹竜胆の紋の矛盾点(笹竜胆は清和源氏の紋所ではない)を指摘する部分で、恭介はその内容に聞き入りながら、頼朝との誤解から生まれた確執から義経が、「自分は清和源氏の生まれだが、心は公家の源氏(紋は笹竜胆)に近いといった気持ちを表そうとしてわざわざこの紋を使うようになったのではないか」と解いてみせる。この答えの導き方に作り事めいた匂いを感じ取る人もいるかもしれないが、ここに私は、名探偵神津恭介の闇に閉ざされた謎を僅かな証拠を元にして暴き出す真骨頂を、まざまざとに見て取ることが出来た。だが、この内輪での反論のやり取りは、中盤で起きる井村教授との壮絶な論争への単なる序章にしか過ぎなかった。
いよいよ、歴史専門学者井村と多方面での博覧強記を誇る恭介の戦いの火蓋が切って落されたのである。井村は、第十二章「神津恭介敗るるか」の終盤で決定打のような成吉思汗と義経の容姿の違いを指摘する。成吉思汗は容貌魁偉、身長巨大、義経は五尺そこそこの小男だったことを指摘するのだ。流石の恭介もここまでかと思われたが、ドルジという学者の『成吉思汗伝』(この時代には翻訳されていない洋書のようだ。原書にまで目を通す、高木さんの驚異的な知識欲に改めて脱帽した)を引き合いに出して、起死回生の変装術を唱えて鮮やかこの難局を乗り切り、逆に『成吉思汗伝』に載っている成吉思汗の臨終の際の言葉、「われこの大命をうけたれば、死すとも今は憾みなし。ただ、故山に帰りたし」の意味を問い返す。更に恭介は“この故国帰りたし”の故山とは、鞍馬山、京都、鎌倉、衣川などの故国日本の思い出が去来したのではなかったのだろうかと駄目を押す。これに井村は、ロマンチストの妄想だと簡単に切って捨てる。挙句の果てに、「神津君、すべての議論というものは、まず大きな仮説を立て、その説に有利な材料ばかり採用して、不利な資料を捨て去れば、どのような論断でもできるものなのだよ。そういう議論の進め方にはなんの科学性もない」と付け加える。
そこで、ふと気がついた。前半から中盤に掛けて感じていたこの小説に対する物足りなさの本質が正にここにあったことを。私は、内輪揉めの反論ではない、真実の究明に繋がる果てしない歴史論争を常に期待していたのだ。井村の存在は、不利な証拠資料をぶつける意味で、非常に重要な位置を占めている。(後日談で、あえて損な役回りを買って出たことが判るが)このような中で、恭介は鎮子に清朝の歴史を調べてほしいといささか突飛な要望を出す。
それは、中国史資料のイギリス公使デビス著の『清国総録』という本に、「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。・・・彼らは(以下略)、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝(愛新覺羅)を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」という文面が見受けられたからだ。清朝建国に纏わる謎の解明から導き出されるものが何かを、当初図り兼ねていた研三と鎮子だったが、この調査が後々、義経一人二役説を裏付ける重要な糸口になってくるのだ。研三の清朝史の調査過程で、徳川時代に森助右衛門があわらした『国学忘貝』という本から、清朝の皇帝たちの命をうけて編まれた書物の中に『図書輯勘録』があり、この中に、清の六代皇帝、乾隆帝自身が書いた序文「朕(我)の姓は源、義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す」という一句を見つけ出す。
これが最終的な決め手になるかと思われたが、再び井村が現れ、『図書輯勘録』の書には誰もが陥る罠が隠されていることを、桂川中良の本『桂林漫録』を引き合いに出し、『国学忘貝』の嘘八百を捲くし立てる。桂川は、清朝が終わって編纂された図書集成一万巻を確認したが、そこには図書輯勘なる書物は無かったと述べる。もちろん乾隆帝の序文も見当たらなかったようで、決定的な言葉「義経の事においては、長く繋念を絶つべし」と締め括っている。長く繋念を絶つべしとは、疑問の余地はないということだが、更に、井村は追い討ちを掛けて、結論から言えば乾隆帝自身が書いた序文の原本がないと話にならないと致命的なことまで言う。
ここで、恭介、研三、鎮子の三人は共に項垂れ、この戦いについに終止符が打たれるかのように見えた。だが、最後に待っていたのは、愛新覺羅の末裔、慧生が起こした天城山心中事件だった。この心中事件を、椿山心中(義経の遺児鶴姫と豪族阿部七郎が起こした心中事件)と重ね合わせ、この輪廻の恋(研三)と人間の力ではどうしようも出来ない運命(恭介)が及ぼした結果だと信じると、自然に導き出されるのが義経=成吉思汗説であるということになり一気に締め括られ、第十五章の幕が引かれる。
長々と粗筋を追ってしまった(犯人探しの小説ではないので、ネタバレとなるような部分に多数触れています。ご勘弁願います。)感があるが、ここまでが新装版前(初稿版から多少の加筆はあるが)である。最後に、宿敵井村がつぶやく、ソロモンの『伝道の書』に載っている「先に有りしものはまた後にあるべし。先に成りし事はまた後になるべし・・・(以下略)」という輪廻の思想を匂わせるような言葉を囁いて、呆気なく敗北を認めるような形を取っているが、この内容では高木さん流に言えば、恭介の判定負けの色合いが強いとしか言いようがない。しかし、“運命”という恭介得意のフレーズが、新たなる章の追加補筆(第十六章)という行為の中でも、脈々と息づいていくことになる。
実在の人物、仁科東子さんが送った高木さんへの手紙「神津恭介への手紙−成吉思汗という名の秘密」という一文(雑誌『宝石』掲載)を元に、仁科さんと恭介との対話と形式で、成吉思汗名前に秘められた謎を、漢語(仁科さん)や万葉仮名(恭介)の形として緻密に読み解き、それが静御前への永遠に届くことのない返答として浮かび上がって来るに、到って不覚にも涙してしまった。恭介の屈辱の判定負けは、最後の最後に鮮やかな逆転判定勝ちへと変貌したのだ。恭介の着実な論理の積み重ねが、遂に抉じ開けることが困難だった頑丈で錆び付いた扉が押し開いたのだ。やや強引と思われ兼ねない数多くの論旨も、真実への探求を志していれば、必ず闇を解き放ち、その先にある光明を見出すことが出来ることを明確に証明してくれた。
まだまだ、語り足りない気がする。それは、閉ざされた奥深い歴史の神秘性に心を奪われたからだろう。この書に学生時代に出会っていたら、勉学への取り組み方も変わり、その後の人生は大きな変貌を遂げていたに違いない。悔やんでも悔やみきれない。

≪付記1≫
巻末「カッパ・ノベルス版のあとがき」で、高木さんは、仁科さんが精神病院の患者として、数ヶ月を送らなければならなくなったきっかけの一つは、義経成吉思汗説を信じて、その解明を期したためらしいと語っている。それほどまでにこの小説は読む人の気持を揺さぶり、私達に何かを訴えかけてくるのだ。(成吉思汗の謎をもっと明確な形で解読してほしいという故人の悲痛な叫びなのか)
ある意味、積年の思いが充満している小説と言っていいかも知れない。
≪付記2≫
文庫のあとがき「成吉思汗余話」で、元朝国史元朝末期の史官の眼には晒されていなく、開国史は代々宮中におさめられて人目にふれず、記録を一見したいという史官たちの願出は二度までも却下されているという事実を、高木さんは暴露している。井村助教授が小説の中で鋭く指摘したことは、あらかじめ作者が執筆前に判っていたことだったのだ。その上であえて史実に挑戦する。その意気や良し。歴史の盲点(普通なら怯んで意識的に触れないが)をあえて突くこの新鮮な発想こそ、ベッド・ディテクティヴの原点なのだと言いたい。
書評でも少し触れたが、高木さんはこの小説と対峙するにあたって、不利な証拠を黙殺せずに取り上げ、フェアプレイに徹し、且つノックアウトを望まず判定勝ちに持ち込めれば満足だと述べている。このフェアプレイ精神を貫いたことが、今回の判定勝ち(私の評価だが)を呼び込んだのだ。
夢談話「お忘れですか?モンゴルに渡った義経です」を読んでいると、義経(成吉思汗)が切り札として、高木さんに仁科東子さんを無理矢理引き合わせたような感じがしてならなかった。このような不思議な感覚を抱くのは私だけだろうか。これは偶然とは考えがたい。恭介なら、“これもまた一つの運命だ”と言うのだろう。
≪付記3≫
書評を記した後、”成吉思汗の秘密”に関連したHPをいくつか覗いてみた。その中で、『「成吉思汗の秘密」の読まれ方』と題する文章にぶつかった。『義経伝説』というHPに載っている一文のようだ。まず、小説の問題点として指摘した部分が、私の書評と重なっているところが多いのに吃驚した。推理小説の鍵となる箇所は限られているので、さして珍しいことではないのかもしれないが、妙に気にかかった。
文中の金田一京助さんが小谷部さんへ行なった文章批判の引用には、研ぎ澄まされた鋭さを感じさせる。結びで、「伝説は伝説として語られるからこそ意味がある。伝説は歴史学ではない」と言われているくだりは、非常に共感出来た。確かに、高木さんは義経不死伝説の支持者ではなかったのかも知れない。あくまで、推理小説の形を借りながら、義経伝説を論理的に再構築させたかった可能性が高い。HPの主催者、佐藤弘弥さんの卓越した意見には敬服した。
蛇足だが、HPの片隅に「思いつきエッセイ」と題されたブログがあり、これを開いてみると興味深い文章で埋め尽くされていた。(この執筆も佐藤さん)
2009/9/25に書かれた「高橋尚子瀬古利彦の違い」と題された文章では、高橋の無類の明るさと瀬古の禁欲の求道者の辛さを見事に対比させながら、高橋の強さの秘密を”自在にレース作っていく創造性の優位さ”にあると読み解っていくのだが、内容は十分に的を射ている。ただ、最後に冗談半分で言われた「おいおい休めよ高橋」というこの助言が、後に高橋を追い詰めていく要因になったのは皮肉な話だ。相次ぐ怪我との戦い。ついに、高橋は再びオリンピックに出ることはなかった。
ラソンランナーには、レースを作っていく創造性とともに、年齢に則した練習量を、徹底した自己管理(それが継続に繋がる)の中で見つけていく必要があるように思われる。分野は違うが、大リーグのイチローを見れば、それが実感出来るはずだ。イチローは練習風景を見せたがらないので有名だが、練習の限度を他人(コーチ)ではなく、自分で即座に感知することが出来る稀な存在だ。極端な話かもしれないが、今後のマラソンランナーの理想系は、瀬古のライバルと言われた中山利通を、更に進化させた形であるような気がしてならない。
いずれにせよ、HP『義経伝説』からは、幾多の刺激的な発想を得ることが出来た。一読に値するHPだと思う。
必見!