『ゴルの巨鳥戦士』(ジョン・ノーマン著・永井淳訳) SF創元推理文庫

SFスペースオペラと銘打って出版されたジョン・ノーマンの代表作である。その後シリーズ化されたが、本書が一作目。
この小説との出会いは、ジョン・ノーマンを扱ったHP「Far East of Gor 極東のゴル」を目にしたのがきっかけだった。(”奴隷を扱った小説”に対する感心度が高かったので、単に邪まな興味で記事を読んだのだが・・・)このHPは、現在新たな更新をされていないのが残念だが、このまま削除されずに今後も残ってほしいと思わせるほど、貴重なサイトの一つである。ジョン・ノーマンへの限りない愛情に溢れた文面で彩られているので、興味のある人は是非覗いてみてほしい。
正直、今回この本を取り上げるのには、少々戸惑いがあった。小説がシリーズ化され、既に三十冊近く(翻訳は七冊のみ)刊行されているので、全てを読んでから感想を書くべきなのではないか、という疑念が沸いたのである。この迷いは、初巻を読んだところですんなり解消された。話の区切りが、終盤できちんとつけられていたからだ。ジョン・ノーマンは、当初シリーズ化を目論んでいなかったようである。日本で七冊目以降が翻訳されず、多くのファンを得ることが出来なかった最大の原因は、奴隷を扱った小説なのに淫靡で妖艶なところがまるでなく、冒険小説(史劇としての要素が濃い)としての比重が高かった為なのではないだろうか。
沼正三さんがSF小説を紹介した際に、海外では 主人が奴隷を配下に置き(惑星間で支配と服従の関係が生まれる場合が多い)、それがSM特有の主従的な要素を多分に孕んでいるように見えると語っていた記憶がある。日本のSF小説ファンは、SM的な匂いを少しも期待していないし興味もないのだろう。アダルト小説のファンに、SF好きが多いとも思えない。(少々強引な言い回しだが)このような要因から、日本でのジョン・ノーマンへの関心度は、徐々に薄れていったものと考えられる。前置きがずいぶん長くなったので、本題に移ろう。
タール・キャボットという大学講師が、休暇を利用して山を登った際に、過去に失踪した父の手紙を偶然見つける。驚いている間もなく、見知らぬ円盤とともに父が現れ、その円盤に乗って地球と太陽を間に挟んだ未知の惑星ゴルへと連れて行かれる。そこで、ゴルの惑星でもやや独裁的な軍司令官になりつつあるマルレイヌスが統括するアル帝国の権力を、他国と均衡化させるために、帝国の礎石(この石を失くすことは、失権することを意味する)を強奪する使命を、タールが受けることになるというのが大まかな粗筋だ。
話の筋をなぞると、それほどうねりのある物語には思えないが、この小説の良さは、個々の生物の独自の描写にこそある。タールが乗り物として使う巨大な鷲のような生物を操るタルン棒は、ややもすると非情な鞭と同等に見受けられ、S的要素を感じられないこともないが、この棒を介して行なわれる厳しい訓練が生んだタールと巨鳥タルンの固い絆は、『ベン・ハー』の戦車競走シーンに登場する白馬と主人公の信頼関係を想起させた。
アル帝国の礎石強奪の際に、意に反して纏わり付いて来たマルレイヌスの娘タレーナと主人公が旅をするシーンでは、タレーナがタールを何度も裏切り、傲慢さと偏屈な意思の固さを遺憾なく発揮する。このような扱いにくい女に幾度裏切られてもそれを許す(ややもするとM的に見える)タールの信じる心が、次第にタレーナを意固地で生意気な嫌悪すべき女から、思いやりという暖かい真心を持つ女へと徐々に変貌させていく。
途中に出会う理性と言葉を持った蜘蛛族との出会いでは、”礎石の強奪で、アルに再び歓喜が訪れる”と蜘蛛が神妙に呟くあたりは、アルの特権階級からの残酷な仕打ちを受けていた一族の憎悪がこもる。
”主人と奴隷”の関係をあくまで拒否するタールに対して、捕らわれた者の奴隷の立場を頑なまでに行使しようとするタレーナの固い意志表示は、主従関係が今後の物語でも、ずっと貫かれていく普遍のテーマとなっていくことを予感させる。この関係が、次作でどのような形となって現れるのか今から楽しみだ。
ここには、柔なSF冒険物ではない骨太のドラマがある。

≪付記1≫
澁澤龍彦著の労作『黒魔術の手帖』に「カバラ的宇宙」という章がある。その中で澁澤さんは、占星術の領域に属する黄道十二宮(ゾディアック)のサインを記した、宇宙発展の見取図に触れている。
章の締め括りとして、”天国とは地球から見て高次元(太陽に近い)の惑星であり、地獄とは低次元(太陽から遠い)惑星である”と考えられていたと結んでいる。つまり、太陽から一番遠い冥王星海王星などは、低次元の人間の住む場所として捉えれていたのだ。
『ゴルの巨鳥戦士』は、主人公が太陽を挟んで地球と丁度反対側に位置する反地球ゴル(地球からゴルを確認することは出来ない)に、地球とほぼ同じような思考能力を持った生命体の存在を認識したところから物語が始まる。この規定は、黄道十二宮の考えに呼応するように感じられないか。
ただ、ジョン・ノーマンが、宇宙における惑星ゴルの位置を決める際に、わざわざ過去の文献を紐解いたとは少し考え難い。私はここに、過去から現代に受け継がれた目に見えない思考の破片のようなものを感じずにはいられない。