『裁判官の書斎 全五冊』(倉田卓次著) 勁草書房/判例タイムズ社

迂闊だった。著者の倉田さんがご高齢なので、御身体のことを少々気にかけていたのだが、今年の1/30にお亡くなられたことを本日知った。裁判官・公証人・弁護士を務めて、八十九歳で死去されたそうだ。正に、天寿を全うされたと言って良いように思う。心からご冥福をお祈り致します。
さて、本題の裁判官の書斎シリーズは、実を言うとまだ三巻目までしか読んでおらず、残り二冊と『裁判官の戦後史 全三冊』の計八冊を読了してから感想を記すつもりでいたのだが、倉田さんが死去されたので、故人のご冥福を祈る意味で少々強引だが取り上げることにした。
正直、私は倉田さんにとって、決して良い読者というわけではない。それは沼正三著の『ある夢想家の手帖から』でも少し触れたが、沼さんの表の顔(無論推測)として倉田さんを知ったからに他ならない。ただ、沼正三さんという存在を抜きにしても、私を虜にしてしまう魅力が倉田さんの文章にはある。
その博学と名文筆家ぶりは広く世間に知れ渡っているので、ここであえて触れるまでもないのだが、特に際立った知識への貪欲さを現している部分に、僅かだが触れてみたいと思う。
第一巻目の「五十の手習い」と題する《法曹》という雑誌への投稿写真に纏わる話が、特に興味深い。何度かの投稿の後、遂に三等に入選したのにそれに飽き足らず、鴉のネガと役所前の交差点の風景のネガを合わせ、ポウの「大鴉」を念頭に浮かべながら、《飛翔》と題して再投稿し見事に一等を射止める。この合成写真を撮るまでの間の写真への探求心が、半端ではなくて凄まじいものがある。写真に関する様々な専門誌を読み漁り、知識と実技(自分の家に暗室を特注し、写真の現像作業まで行なう)を身に付ける。最後には駆け出しのプロの新人写真家でなら、裸足で逃げ出しかねないレベルにまで到達するのだ。
同巻の「カイヨー夫人之獄」という章も見逃せない。裁判絡みの書籍(公判記録)に関しての紹介だが、内容は当時のフランス内閣の大蔵大臣カイヨーのスキャンダルを暴こうとした新聞社の編集長カルメットを、カイヨー夫人が射殺するというもので、普通なら結果は呆気なくカイヨー夫人の有罪で幕を引くように見える。ただ、八日間の裁判の末、意外にもカイヨー夫人は無罪になるのである。他のHPでは”カルメットが反フランスのプロパガンダに関わっていたことが判明することで事態が無罪へと一変した”と書かれているようだが、どうもそれだけではないらしい。確かに、欧州大戦勃発前夜の異常な状況下が影響しているようにも感じられるが、”無罪になった要因はスキャンダルの原因となった略奪愛(現夫人のカイヨーが前夫人のゲイダン夫人から夫を奪った)の手紙を、新聞社に提供した前ゲイダン夫人の愛着と嫉妬と強欲が、陪審員(この時期フランスでは既に陪審制度が運用されていた)の心を揺さぶり、カイヨー夫人を無罪に導いたのではないか”と著者の上畠益三郎さんは注釈の中で漏らしているのだ。
このような審理に纏わる資料を仔細に整理しながら、フランスでの裁判の手際良さや証人の供述の要領の良さを指摘し、日本での陪審制度の必要性まで匂わせる意見を何気なく差し挟んでいるあたりは流石だ。その上”傷害致死の事実はあったのか”という補問があれば無題にはならなかったのでは?といった大塚一男氏の見落としかねない見解まで紹介していく部分は、この裁判に関する文献をどこまで調べ尽くしたのだろうか、といった妙な疑問まで沸いてくるほどだ。
さて、ここまでで相当な分量を割いてしまったが、二巻の「水滸伝−諸訳の読み比べ−」や三巻の「ルビ文字」の章にも「カイヨー夫人之獄」のような調子で触れたいところだが、あまりに膨大な分量になりそうなので、簡単にさわり程度触れると、「水滸伝」「ルビ文字」も共に原語の面影を生かしながらも、独自の解釈で翻訳をすることの重要性を丁寧に説いている。単に安易な直訳の羅列は、小説としての醍醐味を失い兼ねないとも言う。ここには、一つ一つの言葉(日本語を含め)を大事に扱ってきた倉田さんの気構えが現れている。
裁判官としての本業に重きを置きながらも、あらゆる雑本に目を通し、克明で冷静な分析をする特異な気質(ただ、一人の作家に夢中になることはなかったらしい)を備え持つ、このような希代の才人は今後二度と現れないだろう。
また、倉田さんは故人を偲ぶ文章を書く達人でもあった。それは、この本に目を通せば自然と感じ取れる。あり得ないことだが、倉田さん本人が自分へはなむけの一文を添えるとしたら、どのような文章を書いたのだろうかといった不謹慎な思いがふと頭に浮かんだ。
天国に着くまでの道程の中で、手に書物と赤鉛筆を持って、一心不乱に熟読しながら、丹念に朱線を引いている様が目に浮かんでくる。数々の良書へと導いてくれた、偉大なる先達(人生の師)の永遠の旅立ちを、心の底から祝福したい。

≪付記1≫

「カイヨー夫人之獄」の項を確認する意味で一巻目をたまたま読み返していたら、「誤訳談義」の章でピーター・オドンネルの怪作『唇からナイフ』の日本語訳(榊原晃三)を取り上げて、原文と翻訳を並べて許されない誤訳を厳しく指摘している箇所があった。言い得て妙と思える比較検証には、再読だが思わず唸ってしまった。
本国フランスでは、007を凌ぐほど有名な『モデスティ・ブレイズ』シリーズだが、この小説の女スパイの素晴らしさを熱く語っているのは、他では沼正三さんぐらいしかいない。(『ある夢想家の手帖から』潮出版最終六巻にコメント掲載)倉田さんと沼正三さんが取り上げている本は、不思議なくらいに重複している。蒲松齢著『聊斎志異』や数多くのSF小説 など、数え上げれば切りがない。ここは沼さんの素顔を云々する場ではないので、多少気になるとのみ言っておくだけにしたい。
倉田さん・沼さんは、共に多大なる教示与えてくれた恩師として、今でも崇拝している気持ちに変わりはない。

≪付記2≫
『裁判官の書斎』掲載の「私の読書法」という章に、《並行的読書法》という項目がある。内容は読んで字の如しだが、倉田さんの場合は、読む場所(机上・枕許・トイレ・外出途中など)ごとに本の種類を変えて読むといったものだ。この文章を読んだ時は、なるほどと感心したが、自分は本の内容が混乱して、並行して数冊読むのは無理だと、気にも留めずに読み流していた。
ただ、何故か現在の私の読書形態は、並行読書法そのものなのだ。(但し、読む場所で本を決めてはいない)倉田さんの文章を読んで実践したつもりはないのだが、頭の片隅に潜在意識として残っていたのかも知れない。数冊の小説を章単位で区切って読んでいるのだが、自分でもこの読書法は邪道ではないかと思っていたら、倉田さんが《並行的読書法》の文章の中で、きちんとその答えを出してくれているではないか。「小説の一作品だって、そういう味わい方が許されることは、新聞の連載小説の存在でわかる。」と言われていたのだ。そう言われると、確かに違和感無く読めている理由が判ってくる。私の中では、小説三冊+随筆一冊が、最もバランスが良いと思って実行に移している。
唯一の欠点は、読んでいる数冊の中に、たまに大幅に作品の質が落ちる本が混ざると、その本の粗ばかりが目に付いて読み通すのが少々辛くなってくるところか。

* 倉田さんの《並行的読書法》に、再度目を通すきっかけを作ってくれたのは、大友浩さんのブログに掲載されていた”第八回 四隅の読書”という一文でした。
  大友さんに感謝致します。

≪付記3≫
二巻目『続・裁判官の書斎』の中で紹介されている渡部昇一著『随筆家列伝』(文芸春秋)を読む。
この本は、本来書評として取り上げてもいいほど面白くて興味を惹かれたが、書中で触れられている四人の作家の作品をほとんど読んでいないので、あえて付記として記することにした。
読後、再度倉田さんの書評を確認すると、三宅雪嶺の「浪人論」(浪人の地位・浪人的気分)に興味を示したり、幸田露伴の良き解釈者に英米文学派が多いこと(篠田一士など)を重要な点として指摘するなど、大いに頷ける箇所が見受けられた。流石、倉田さんである。
「出世コースとして決められているところで習学した人達は、幸田露伴著の『努力論』と言っただけで、しばしば嫌悪の情あるいは軽蔑の表情を示す」という渡部さんの言葉を引き合いに出し、倉田さん自身もこの本を購入したが死蔵してしまったことを素直に告白するくだりは、自分に非があれば正直に認めるという倉田さんの生真面目な精神を垣間見ることが出来る。
ただ、倉田さんが『努力論』に目を通すのを躊躇うなどということは少し考え難い。『随筆家列伝』を読む前に、倉田さんは本当に本書を読んでいなかったのだろうか。疑問が残る。
一番印象深かった三宅雪嶺の章に関しての感想だが、「浪人論」中で雪嶺が萩生狙徠に対して、柳沢吉保に仕えていた儒学者だったことで、己の意見を押し殺していたと批判しているところがある。それを十分意識したからこそ、雪嶺は宮仕えをせずに(当初文部省に勤めていたが途中で辞めている)あえて浪人の位置に甘んじて、自由な意見を発言する場を得ることに努めたのだろうと渡部さんは推論する。思い描いていてもなかなか行動には移せない部分なので、甚く感心してしまった。この高い志は、俗人にはとても真似出来るものではない。
渡部さんのこの名随筆は、一読するに値する。是非お薦めしたい。

≪付記4≫
『続々々裁判官の書斎』を再読。
本書の白眉は、書評よりもⅣ・Ⅴ・Ⅵに及ぶ、リーガル・アイ(弁護士の眼とでも訳すのか)と命名された法曹界に触れた章だと思われる。特に注目すべきは、Ⅵ中の「逆説的コメント三点」だろう。ここで、倉田さんは法曹を志す人へ逆説的な意見を披露してみせる。
一点は、“法の理念は<真理>ではなく、<正義>である。”と規定し、「真理を目指す人は皆同じ方向へと努力するのだが、正義の星として指さされる方向はまちまちなのだ。正反対でさえありえる。」と警鐘を鳴らす。
二点は、“訴訟の問題点の多くは法律論より事実認定だ。”と提唱し、「法は真実とは無縁だが、訴訟は真実とは離れられないが、《真実は百の顔を持つ》と言われる。」と現実を直視する目の必要性を説く。
三点は、“裁判は人生の暗い面との関わりだということ”と前置きし、「法曹はその人間の集合体<社会>の歪みと悩みの専門家なのである。」と断言する。
三つとも、実に重みのある箴言なのだが、一点目の”正義は一つではない”と二点目の“真実(真理ではない)は色々な顔を持つ”という文句が妙に気にかかった。多彩な様相を見せる真実に惑わされ、正義を見誤ることなかれという戒めはひしひしと伝わるのだが、その具体的なイメージが湧いて来ないのだ。
そんな中、去年放送されたテレビドラマ『リーガル・ハイ』を、動画サイトでたまたま見る機会を得た。第一話の最後に主人公の辣腕弁護士が、新米の女性弁護士に向かって、以下のような罵詈雑言とも取れる言葉を速射砲のように放つ場面にぶつかった。「うぬぼれるな!我々は神ではない。真実は何かなんて判るはずがない。」それを受けた新米弁護士は、「だったら、私達は何を信じればいいんですか。」それに対する答えが、「自分で探せ!」だった。
いかにもプライドの高い自惚れ屋が思いつくままに発した放言のように聞こえるが、事実はそうではない。この言葉の裏側から、多面体の真実を追究するのではなく、自分が信じる正義を見出せという隠れた教示が聞こえて(響いて)はこないか。そう、これが倉田さんが語った一・二点の逆説に通じる言葉だったのだ。
ドラマ第四話《太陽を返せ!マンション裁判仁義なき戦い》中で、自宅近くに建設される高層マンションに反対する住民側に肩入れする新米弁護士に、主人公の弁護士が諭す。
「正義とかぬかしているのは、上から目線の同情に過ぎない。そのつど目の前の可哀相な人間を憐れんでいるだけだ。」この会社と住民のトラブルは、三点目の逆説に通じやしまいか。一体何が沢山の人々の為になるのか。集合体<社会>の歪みから、正義を導き出すのは思っている以上に困難な作業なのである。
脚本の古沢良太さんは、ドラマ執筆前に倉田さんの裁判官シリーズに目を通していたのではないだろうか。(『リーガル・ハイ』という題名が造語なので、そこから推測したまでだが)一見奇想天外な弁護士ドラマを装いながら、登場人物達が抱える複雑な心情が、見る側に生々しく突き刺さる。おぼろげだった倉田さんの考えが、頭の中で明確に整理されていくのが実感出来た。正に真実とは一つではないのだとつくづく思わざるを得ない。
来月(十月)からドラマの続編が始まるようだが、新米弁護士は果たして自分が理想とする正義のあるべき姿を探し出すことは出来るのだろうか。注視したい。

≪付記5≫
未読状態のままだった最終巻『元裁判官の書斎』を読む。
本書はそれまでの四冊と違い、中身がより法曹界に接近した様相を呈しているせいか、出版社が勁草書房から判例タイムズへ変わっている。(事実倉田さんからの出版の申し出を勁草書房側がやんわりと断ったようだ)そのような意味合いから、これまでと同じ小説(SF・推理物など)の書評を期待している読者はやや肩透かしを食った感を抱くかも知れない。
倉田さんははしがきで、自信が持てるのは第一章・十三「失鵠裁判所」であると述べているので、筆者の意向に沿えばこの項や第三章「サイモン・シン『暗号解読』」書評に触れるのが妥当な線なのだろうが、元来が天邪鬼な私は違う方向に臭覚が働いてしまう。(『暗号解読』については、知識不足と思考能力の欠如で、素数をきちんと把握出来なかったという悲しむべき現実が潜んでいるのだが)第一章・十五「国立公文書館法と情報公開法」である。先日国会で衆参を通過し、強引に公布された「特定機密保護法」に対抗した形をとる「情報公開法」にまで及ぶ記事だが、法案が本人の意図に反しながらも、運命の糸に引き摺られるように意外な展開の中で筆者と深く関わり合っていく。
事の起こりは、平成四年に明治初年から昭和十八年までの民事判決原本の保存期限が切れたことに端を発する。原本廃棄を危ぶんで結成されることになった「判決原本の会」が最高裁と交渉し、国立十大学法学部が移管を受け入れて暫時保管する方向で一旦解決したように見えたが、大学側は保管を三・四年のつもりで考慮していた為、その先の原本の移管先を新たに探さなければならなくなる。正に一難去ってまた一難とはこのことだろう。原本は弁護士にも多大な影響を及ぼすので「日弁連司法制度調査会」が発足し(筆者はこのメンバー)、早速行動を開始するのだが、この先にまた紆余曲折が待ち受けていようとは誰も考えてはいなかった。
原本保存の重要性を唱える、ある国会議員からの提案「議員立法」で保存を成就させようとするのだが、そこに同じように国会承認を得るべく尽力していた「情報公開法」との絡みが浮上、除外規定(閲覧に供しない)部分が「国立公文書館法」(これが判決原本に関する法案)にまで広がり、“閲覧制限・謄写不容認が実現されては意味がないのではないか”との意見が、日弁連内の情報公開法・民訴問題対策本部より、日弁連会長へじきじきに上申書が送られる。たまたま文書に絡む二つの法案が同時期に承認を取ろうとした結果、思ってもみなかった弊害が生まれたのだ。この詳細はP65〜68の「2」「3」「4」を確認していただければ判るのだが、倉田さんは纏めで“歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの”はあらかじ開示請求から除外されており、大きな心配はないのではないかとやや楽観的な見解を示しているが、実際はそう簡単に割り切れるものではなかった。不開示範囲が情報公開五条の規定を超える場合は異を唱えなければならないときちんと付け加えられてはいるが、この不開示範囲という言葉自体がそもそも曖昧且つ広範で、それが今回の「特定機密保護法」の公布に少なからず影響を及ぼし、対象範囲を広げるような動きに繋がった印象があるからだ。最終的に、難事を乗り越えて「国立公文書館法」は承認されることになる。
いささか法案施行までの成り行きを追い過ぎてしまったきらいあるが、「公文書館法」の存在が重要なものであり、単に原本保存という書類保管の枠を超えている特別な法案だったことが少しは判っていただけたのではないか。追記にある「刑事裁判原本」を、未だに検察庁がプライバシーを口実にして現在も保持し続けて、開示(保管場所・判決の具体性の明示など)を拒んでいるとしたら、これは検察庁の横暴以外のないものでもないだろう。昔も今も検察庁の闇のベールは、至る所で張り巡らされているのだ。
第四章「判例タイムズ1000号の歩みの回顧〜一法曹読者として」への感想も記したかったが、(特にB5・A4の書籍形式と書棚格納の関係(P282)中で、五月十七日付の付記で司馬遼太郎さんの「信じられない過ぎ去ったことを振り返るとき人間、人間は神になりうる」の一文に倉田さんが接して感銘を受け、自ら漏らした一言に反省の意を示しておられる箇所には甚く共感した。論争好きにも関わらず、この潔さがいかにも倉田さんらしい。)長文付記となったのでこれで止めたい。
最後にやはり思い浮ぶのは、文書への執拗なこだわり、訳文への細かい気配りといったように、日頃から読書に勤しんでいるものにとっては、正に天啓のように聞こえてくる倉田さんの重厚な声の数々だろう。「裁判官の書斎シリーズ」の中に鳴り響く社会への警鐘は、後世にまで引き継がれていく重要な課題を孕んでいる。
〔蛇足〕
第二章「死をめぐる法律論」三.刑事法上の死」3.“刑事学・法医学”の講演中、犯罪学者ハンス・グロス著『予審判事必携』について話が及ぶ件があるが(P93)、『グリーン家殺人事件』の終盤犯人の書庫に所蔵されていた有名な本のことで、文庫中(P430)で探偵ヴァンスが以下のような説明を加えている。「あれは驚くべき論文だよ、マーカム。犯罪の歴史と科学のあらゆる分野を網羅して、特殊な実例を引用し、詳細な説明と図解がある。ちょいと驚くべき、犯罪についての、世界の標準的百科辞典だ。」この書籍に関しては意外にもほとんどの人が取り上げていない。法律絡みの犯罪教本ということもあり、一般の人が目を通すことは限りなくゼロに近く、触手が動いたとしてもわざわざ現物を入手してまで読む必要性を感じ取らなかったに違いない。倉田さんは大学の図書館でこの分厚い書籍(おそらく原書だろう)をざっと読んだだけで棚に返したと語っているが、唯一本文を紹介していた人物が存在する。沼正三さんだ。
ある夢想家の手帖からの第三巻『奴隷の歓喜』九十八章「人間ビデ」中で『予審判事必携』を俎上に挙げ、グロスが刊行した雑誌『刑事学年報』の文章からエルテル検事の「ある“奴隷”」の事例を紹介している。(これは私の勝手な推測だが、探偵ヴァンスが語った“特殊な実例引用”の一部がこの実話に該当するのではないか。)こんな安易な事柄から倉田=沼の諸説へと導くつもりは毛頭ないが、創元推理文庫1959年度版を見ると、ハンス・グロッスの『予審判事便覧』と記載され、「必携」ではなく「便覧」となっている点に注目したい。ともに“ハンドブック”の意だが、「必携」と記しているのは倉田さんと沼さんの二人だけのはずで、これを単なる偶然と済ませてよいのだろうか。ただ、よく確認するとブログ「直井明のミステリよもやま噺(九)」中で、グロス『予審判事必携』と明記されている。するとこの推測は私の単なるこじつけなのか。何とも気になるところだ。(直井さんの“グロースの著書は乱歩師のエッセーに何度か引用されているし、キーティングのシリーズでゴーテ警部が聖典の如く熟読しているのもこの本である。”という言葉にどうも「必携」という訳語が用いられた原因が隠れているように思える)
訳本が大正五年に『採證学』という題名で出版されているようだが(写真付で紹介されているHPあり〜直井明さんも言及)、『グリーン家殺人事件』文中によると原書は千頁にも及ぶらしいので、訳本は六百頁あまりというところから察すると抄訳と考えるのが妥当だろう。沼さんは、グロスの『刑事学年報』を引き合いに出すあたり、明らかに原書で読んでいたようで、それも流し読みではなく主要事項に細かくチェックを入れていたことが文面から窺える。
いずれにせよ、同時代に二人が、『グリーン家殺人事件』の僅かな一行に目を止めて、原書にまで手を伸ばしていたという事実は興味深い。